27年前の2月。
わたしは、初めて母になりました。まだ23歳。今のわたしから振り返れば、なんと若くて幼い母のスタートだったことかと思います。
あの日は雪が降っていました。朝からお腹がしくしくと痛み、出血のおしるしもあり、どうやらその日が「運命の日」だと直感しました。前夫はというと、夜通しバイトをしていたせいで眠りこけており、祖母とわたしだけが慌ただしくタクシーに乗り込み、病院へ向かいました。祖母が一緒にいてくれたことは、今思い返しても心強かったです。
病院に着いてからは、女医との小さな攻防戦もありつつ、子宮口がようやく開いていく過程を、ひとつひとつ乗り越えていきました。陣痛の波は予想以上で、若さゆえの体力で必死に食らいつくような時間。10時間を超える格闘の末、22時50分。わたしはやっと息子をこの世に迎えることができました。
その瞬間、わたしはもう別人になったのだと思います。女性から母へ。ひとりの娘から、誰かの母へ。産声を聞いた時の感情は、今も鮮明に胸の奥に残っています。
ちなみに、前夫は19時過ぎになってようやく起き出し、慌てて病院にやって来ました。破水のときに大慌てしていた様子を思い出すと、あの頃の不器用で能天気な空気感が蘇り、今となっては笑える思い出です。当時は腹も立ったものですが、これもまた「若さが持つ勢いと無防備さ」のひとつだったのでしょう。
出産はゴールではなく、始まりだった
無事に産まれてきてくれたこと。それだけで奇跡のように思えたのに、そこからが本当のスタートでした。おむつ替え、夜泣き、熱を出すたびに右往左往する日々。若い母親のわたしは、試行錯誤の連続で「正しい答え」なんて分からないまま、ただただ必死にやっていました。
それでも、不思議なもので子どもは可愛い。眠れない夜が続こうと、泣き声で頭が割れそうになろうと、あの小さな存在を抱きしめるたびに「生まれてきてくれてありがとう」と思えたのです。
毎日が驚きの連続で、寝返りを打った、初めて笑った、初めて歩いた。ひとつひとつが大事件であり、人生最大の喜びでした。
成長する子、変わる母
それから27年が経ちました。
息子はもう大人になり、自分の人生を歩いています。わたしにとって彼は「息子」であり続けますが、彼にとってのわたしは「母でありながら一線を引く存在」でなければなりません。
子育ては終わらないと言いますが、その形は変わっていきます。幼い頃は全てを世話する母親であったけれど、今は彼の人生を尊重し、適切な距離を保ちつつ見守る立場です。親として口を出したい時もあるけれど、それは彼の道を邪魔することにもなる。だからこそ、必要以上に干渉せず、けれど心から応援している。それが今のわたしの子育ての形です。
母としての誇り
振り返れば、23歳のわたしは未熟でした。
しかし、若さで押し切れる力もあった。怖いもの知らずで、ただ「この子を守りたい」という想いだけで突き進めたのです。その勢いがなければ、あの出産も、そしてその後の育児も、成し遂げられなかったのかもしれません。
わたしは彼の母であることに誇りを持っています。可愛らしかった赤ん坊の姿から、立派な大人に成長した姿までを間近で見守れたこと。これほど幸せなことはありません。
あと27年、一緒にいられるかどうかは分かりません。それでも、息子の母であれたこと、それはわたしの人生の最大の誇りであり、意味であり、宝物です。
この世に現れた小さな存在
27年前、あの雪の朝。
タクシーに揺られながら病院へ向かうわたしは、未来に何が待っているのか分からず、不安と期待に震えていました。けれど、その夜に腕に抱いた小さな命は、世界で一番愛おしく、奇跡そのものでした。
あの時の喜びを超える瞬間は、きっともう訪れないかもしれません。それでも、その後の27年という時間の中で、彼が笑い、泣き、挑戦し、挫折し、それでも立ち上がって歩む姿を見てきました。わたしの中では、それがすべて「あの日の続き」です。
結びに
27年前のわたしへ。
よく頑張ったね。あなたは不安だらけで、頼りなくて、でも強かった。
そして今も、母として歩み続けている。
息子へ。
あなたが生まれてきてくれたこと、それがわたしの人生最大の贈り物です。これからも、距離を大切にしながら、ずっと応援し続ける母でありたい。
母になれたことは、わたしの誇りです。