生きていく。わたし達は、それでも。

太陽という存在は、わたしたちの生にとってあまりにも当たり前にそこにあるものです。しかし、そのありがたみをじっくり考えることは少ないのではないでしょうか。日々の暮らしの中で、太陽が昇り沈むのは当然のように感じますが、もしこの光が届かなくなったらどうなるでしょう。

まず、農作物は育ちません。食料が尽きることは、命の循環が止まることを意味します。人間の身体にとっても、太陽光が届かない環境ではカルシウムの吸収が難しくなり、成長や骨格形成に影響が出ます。医学的にいえばビタミンD不足となり、心身の発達に異常をきたすのです。

さらに、体温が下がり、免疫力が落ち、心のエネルギーも消えていきます。生きる意欲が失われ、やる気も出ない。廃人のように感じてしまうかもしれません。光が失われるということは、単なる物理的現象ではなく、生きる道から外れていく感覚に直結しているのです。

この現象を占星術的に置き換えてみると、太陽の意味がはっきりと浮かび上がります。太陽はその人そのものであり、人生の中心であり、アイデンティティの核です。太陽は「自我」であり、同時に「健全なエゴ」ともいえるでしょう。

自分の太陽を活かせない人は、人生の迷路に迷い込みやすい。なぜなら、太陽は能動的に人生を切り開く力だからです。光を輝かせなければ、前に進むことはできません。

では、どうやって自分の太陽を知るのでしょうか。占星術ではサインとハウスに答えがあります。

サインは太陽の「質」を表します。牡羊座なら情熱的なリーダーシップ、牡牛座なら安定と実感を求める生き方。蟹座なら家庭や身近な人との関わりを通して自分を実感することです。サインを知ることで、その人がどんな光を放つかがわかります。

しかし、サインだけでは抽象的に感じることも多いのです。そこでハウスが登場します。ハウスは「どの分野で輝くのか」を示してくれます。例えば3ハウスに太陽があれば、知識や言葉を通して自分を表現することがテーマになります。学び、語り、書き、身近な人との交流を通じて人生が輝いていくのです。

わたし自身も、かつては自分の太陽サインを嫌っていました。蟹座という響きに「母性的」「お母さん役」といったイメージばかりがつきまとい、うんざりしていたのです。ところが、太陽が3ハウスにあると知ったとき、視界が開けました。お喋りで知識を求める自分、身近な世界で好奇心を働かせる自分。それを認めてからは、蟹座の太陽を誇らしく思えるようになったのです。

光を浴びることで、太陽はますます力を取り戻します。自分の太陽を好きになることは、生きる張り合いを持つことに直結します。わたしも蟹座3ハウスの太陽を意識してから、お節介なまでに関わる自分を肯定できるようになりました。浅瀬で動き回る蟹座の姿を、笑って「それでいい」と言えるようになったのです。

人生には試練がつきものです。しかし、その試練はあなたを潰すためにやってくるのではなく、もっと素敵に豊かにするための課題なのです。太陽を輝かせれば、その試練さえも人生の糧に変えられます。

時に弱音を吐き、愚痴をこぼすこともあるでしょう。けれども、それもまた人間らしさです。そんなときは太陽の下に出て、大きく深呼吸してみましょう。すると、不思議なことに明日からまた歩き出せる力が湧いてきます。

占星術は単なる予言の道具ではなく、太陽を通して「どう生きるか」を教えてくれる羅針盤です。光を失えば方向を見失い、光を取り戻せば再び道が見えてくる。

太陽は私たちにこう語りかけています。「生きて、生きて、生き抜け」と。

わたしたちが光を浴びることを選び、自分の太陽を愛するなら、その道は必ず輝きを帯びていきます。

タイトルとURLをコピーしました