死期を鑑定することは、果たしてモラルに反するのだろうか。
そう口にする占星術師は少なくない。
「死は触れてはならない領域だ」「不謹慎だ」――そのように一刀両断する声を、私はこれまで何度も耳にしてきた。
だが、私はその考えに不同意である。
なぜなら、死は生の一部だからだ。
死を見つめることは、不吉ではなく、生を大切にするための最も確かな方法であると私は思う。
確かに、軽々しく「あなたは何年に死ぬ」と告げることはモラルを欠く。
それは暴力的であり、むしろ呪いに近い。
だが、悲しい別れを経験し、死の重さを深く知る者にとって、死期を知りたいと願う心は真剣である。
その願いに真摯に応えようとするならば、占星術という象徴体系を用いるのは自然なことだ。
だからこそ私は、死期を「研究すべきもの」として見つめてきた。
平均寿命より少し短い予測
私は自分自身の死期を占星術的に予測している。
導かれた結論は、平均寿命より少し短い時期である。
しかし、それを知ったとき、私は絶望するのではなく、むしろ「今を生き切ろう」という意識を強めた。
残された日々は有限だからこそ、どの一瞬も無駄にはできない。
死期を見据えることは、生き方を sharpen する。
それは不謹慎などではなく、むしろ「生への最大の敬意」だ。
土星と冥王星の影
占星術において、死を象徴する代表は土星と冥王星である。
土星は老い、制限、終焉を支配し、冥王星は消滅と再生、不可逆の変容を司る。
この二つが強く絡み合うとき、肉体の限界や人生の幕引きが示唆されることが多い。
私のチャートにおいても、死期と予想される時期にはこれらが重なり合う。
少し前から土星が逆行し、ネイタルとプログレスが複雑にリンクするのだ。
ネイタル冥王星とプログレス太陽が厳しい角度を結び、火星と土星のハーフサム軸にプログレス月が重なる。
さらに、プログレス太陽と月のハーフサムに金星が接触し、ICとのスクエアを形成する。
プログレスのMCとICはTスクエアを組み、根源へ帰る流れを強調している。
決定的なのは、27年ぶりにプログレス月と天王星が重なることだ。
天王星は突然の変化をもたらす。
それは肉体を突如として解放し、別の世界へと送り出す合図になるかもしれない。
加えて、プログレス土星と海王星がアセンダントに重なり、境界線が溶ける。
この構図を見たとき、私は「これは到底乗り越えられないだろう」と直感した。
ZRのPOSとLB
この象徴はゼードリアル・リリーシング(ZR)においても明確に表れる。
死期と予想される日は、POSにあたり「時の移り変わり」となる。
わずか二日後にはLB(Loosing of the Bond)が訪れる。
私のPOSは射手座にある。
だから私の人生は射手座で始まり、射手座で終わる。
このサイクルの完成は、まるで曼荼羅のように美しい。
さらに、そこにはプログレス木星が寄り添う。
木星は拡大と解放を意味し、死を恐怖ではなく「魂の解放」として示す。
牡牛座POSの日に肉体の限界が示され、二日後の射手座LBで魂は解き放たれる。
この二重のサインは、死を単なる終わりではなく「大いなる旅立ち」として描き出している。
恐怖の消失と静かな覚悟
不思議なことに、死期を予測してから、私の心から死の恐怖は消えた。
父も母も、そして夫も、すでに冥途で私を待っているだろう。
再会の約束があるのなら、死は恐怖ではなく、むしろ希望の側面さえ帯びる。
その日までの間、私は息子や娘たちと共に過ごし、孫たちの笑顔を見るかもしれない。
愛情を注ぎ、感謝を伝え、すべてを抱きしめて、充分にこの世を生き切るだろう。
そして新しい旅立ちの瞬間を迎える。
POSとLBが描く曼荼羅
POSが「肉体の終焉」であり、LBが「魂の解放」である。
二日間の連続表示は、まるで曼荼羅の左右に描かれた守護神のように、私の生を挟み込んでいる。
これは恐怖の象徴ではなく、宇宙の秩序そのものだ。
私はその秩序を受け入れ、穏やかな心で死を迎える準備ができている。
結び
死期を占星術で読むことは、呪いではない。
むしろ「いかに生きるか」という問いに、最も誠実に答えるための方法である。
土星と冥王星、プログレスとZR、POSとLB――それらが示す象徴をつないでいけば、死は恐怖ではなく「次なる旅路の合図」となる。
私は射手座で始まり、射手座で終わる。
その最後の瞬間、私は笑みを浮かべて、新しい旅路へと出発するだろう。