蝕は権力者に有効か。

どもーパリピーポーおばさん占い師まあさです。

 

織田信長が本能寺の変で死んだのは、半年前の蝕を伴う日蝕の影響でした。破竹の勢いで中部地方、関西方面を統一した時は、惑星蝕の良い影響を受けていましたが、権力者になって隙が出た時に、進行図の新月を迎えて、蝕に侵されて変死。何だか、教科書通りですね。

次の権力者、豊臣秀吉はどうであったかということを見てみましょう。レクティファイ済です。彼の生い立ちは出目の関係でょ節が幾つかありますが、一番有力なのを採用しました。

太陽、月共にみずがめ座であり、アセンダントをおひつじ座に設定。亡くなったのが1598年8月18日でした。な、何と・・・・・その前日、みずがめ座満月で蝕でした。彼は、新月生まれで純粋で直向きな資質。アセンダントおひつじ座を設定すると、明智光秀を討伐したスピードといい、策略(とにかくやることが速い)と言い、駆け引きもさることながら勝負運の強さが垣間見れます。そして、当時、まだ発見されていない天、海、冥はおひつじ座、しし座、みずがめ座にありました。彼の出世は、まだ発見されていないトランスサタニアンの影響を良いように受け取っていたのだと思います。元々、MC、IC軸にノード軸があるため、蝕の影響を強く受けるのでしょう。新月に生まれて満月に亡くなる。さして、その月は蝕に侵されていた・・・。何とも神秘です。秀吉の出生の冥王星はみずがめ座6度。OOBしています。この時代の風雲児であろうことは、みずがめ座が強いことで証明されていますね。かに座火星もOOBしていて、女性好きというのは有り余る精力でしょうか(笑)金星やぎ座で出目の高い女性が好きだったのも納得です。最終的に妻である北政所に全てを委ねて亡くなりますが、かに座の火星だもん。最後はそうなるよね。マザコンだったのも頷けます。亡くなった時は、進行の太陽が12ハウスにあり、後一年も経たない間に1ハウスに入室するはずだったんですけれど、あの時代では、胃がんだったようですから、そりゃ無理よね。今なら、もっと長生きしたでしょう。

しかし、権力者は蝕の影響が強いということが有効ですね。次は、徳川家康で検証していきたいと思います。

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