犯罪者の子どもとしての生き方

どもーパリポーおばさん占い師です魔麻です。

一昨日の夜、久しぶりに夜遊びをしてしまい・・・。昨日は、ダウンしてしまいました(笑)
夜の時間って、偶には刺激ですよね。いつも、21時には就寝準備に入るので・・・(笑)
久しぶりに会った友人は、色々と変化があって、大変そうでした。何となく、この歳になると変化に弱くなますよね。堪えるのですよ。

さて、わたしは昼寝するにも、時間がかかるのでYouTube三昧でした。


こちらのチャンネルを見て色々感じたことをツラツラと。

【街録ch】
outube.com/@gairokuch

このチャンネルでこの対談を見て、とても衝撃でした。

お二人は、大川さんは、父親が、林さんは母親が死刑を宣告されています。大川さんに至っては、被害者であり加害者という大変な境遇です。
広島保険金殺人の概要はこちらから。

wikiより引用
事件の概要
1998年(平成10年)10月、生コン会社の会社役員であったOは、広島市佐伯区の会社敷地内で養父の頭を鈍器で殴り殺害。交通事故に装って保険金約6000万円を手に入れた。さらに2000年(平成12年)3月、妻に睡眠導入剤入りのお茶を飲ませて風呂場で殺害、事故(水死)を装うために宇品港付近の海岸に遺体を遺棄。保険金300万円を手に入れた。

大川さんも林さんもまだ30代。なんでしょう。この諦めてしまった感覚は。
そりゃそうですよね。自分のしたことてはなく、親ですから。
幼少時は、それなりに、教養もあり、家族との絆は存在していたのです。
ある日、突然親が犯罪をしてしまい、(林さんに至っては冤罪の可能性もあります)周りの大人のせいで。うん。これももし、自分の身に置き換えたらわたしがお二人に、差別も区別もなく接するかというと、正直できないと思います。

【カエルの子はカエル】

この言葉を思わないと言うと否です。きっと思うし、子どもたちにも言ってしまうと感じます。
でも、このお二人の対談を見て、本当に、本当に【カエルの子はカエル】なんて絶対に思ってはいけないと考えたのです。

今、宗教2世、3世が自分の言葉で、自分の環境を発するコンテンツが増えて、今まで届かなかった、届いてこなかった悲痛な声が聞こえてくるようになった。
これは、とても画期的です。良い、悪いは別として。

小さい子どもが自分の責任でないもので言われもない暴力や暴言でどれだけ傷ついていたか。同じ親として、辛いです。本当に辛い。小さな身体でどれだけ壮絶な経験だったのか。

とてもグっときた言葉があります。
林さんの息子さんが、様々な経験の元、相談を受けるんですよね。ご自身は大概のことは相談に乗れるって思ったけれど

【障碍者を産んでしまった】という相談に何も言えなかったと。
その時に、自分が母親のことを相手に話した時に、とんでもない負担をかけていたんだと。

よく、わたしは経験則を持ち出します。これは、そのまま当てはまることだと思うのですよね。
結婚した人には、生涯結婚していない人の気持ちはわかりません。
自由を謳歌しているんだから孤独は当然でしょう?
これは、ある一つの側面。あくまでも経験したことです。自由度が低いから、自由を獲得したのだから、孤独は仕方ないということ。これは果たしてそうでしょうか。

同じく、子どもを育てていない人に子育てのきもちはわからない。これも、そうです。

だからと言って、差別と区別が存在してしまうとただの【感情】なんですね。
感情は林さんが仰った【自分の相談は負担】という気持ちです。

絶対に理解できない部分で押しつけあったところで、問題の本質とは全くの別物であると痛感しました。

お二人の境遇は別ですが、発信することで何かできるのではないか?という気持ちは完全に同意です。

わたしが、旦那氏と結婚してよく言われた言葉。

【子どもには罪はない】

これは、本質であり正義であります。

ただ、プロセスは別。

さそり座娘を育てるのに葛藤を抱えまくり、ずっと愛せませんでした。可愛いとか愛しいと思う気持ちと、自分が腹を痛めていない事実にいしてどう向き合っていくかということは自分でいつも考えていました。その中で寄り添ってくれた友人たちは、時に励まして、感情をぶつけられて。
何より、自分が嫌だった。
そんな差別をしている自分に一番罪悪感があり、責めていました。毎日、夜になると、涙が出て・・・。どうしてわたしは、こんな考えしかできないののだろうる生きている価値なんてないなって。

そして、その気持ちを無理に蓋をして過ごしていました。嘘をついてね。

感情は自分で解放しなければいけません。そんな自分を否定したって状況は改善なんてしないのです。

【いいんじゃん、愛せなくって】


そう思っていいんだって自分を許すと、ふしぎなものですね。愛することが自然と湧き上がってくるんです。この子が幸せになれる最善を考えよう。
今は、わたしの本当の子どもだと思えるようになりました。

相続問題も、息子にきちんと話しましたし。わたし、土地があるから、わたしが死んだら兄、妹と分け合う。
墓もね・・・・自分の子どもがいるので、出してもらって二人で海な流そうか(余談ですが、散骨は意外に高額です。20万はします笑)なんて。

話しは逸れましたが、子どもには罪はないです。同意です。親のしたことと、子どもに何の関連性があるのでしょうか。だけれど、遺伝子があるのですから、わたし達は本能で差別する。
そして、人を殺めたりしたら社会的に抹殺されるというモラルは存在するべきです。そのモラルが行き過ぎて何の罪のない人の心を壊すことは断じてならないと思う次第です。

わたしの場合と、彼たちの場合は違いますが、例えばわたしの場合だと、【わかっていたでしょう?】というのは、本当に迷惑でした。
あなた、同じことができるの?と。黙るしかなかったです。もっと攻撃されるかもしれない、もっと人としてだだとレッテルを貼られるかもしれないと思って黙るしかなかったです。

この言葉は、子どもがいない人によく言われた言葉です。で、わたしが、子どもがいない人に言われたくないなんて言ったら差別になるのですよ(笑)

あぁ。矛盾w

子育ては、そんなに楽じゃないのよね(笑)

心は何度も壊れそうになりましたが、そんなわけにもいかず、生きていくために、自分を保とうと必死でした。そう言えば、それが苦しくて、自殺未遂もしてますけれど、今となれば、生きていて良かったって思います。

大川さん、林さんも生きるということは辛いこと、わたしの知っている比ではないですが、どんな境遇でどんな運命を受け入れてそれでも生きるのかということを考えさせられました。

今年の春分の特徴である、アセンダントに木星とカイロンのコンジャンクションは、自分の境遇や環境を受け入れて、状況の改善をしていくということでもあるなぁと感じました。

彼たちがささやかでも小さな幸せを嚙みしめることができるように祈っています。

タイトルとURLをコピーしました