どもーパリポーおばさん占い師です魔麻です。
昨日は、しし座娘が週末から喉が痛いらしく、鼻水が出てくるので学校を休ませて病院へ行ってきました。ただの風邪でした。ついでにわたしの足の指のイボも見てもらったんです。
ウイルス性のイボだったので、初見の病院では、チタン治療で長くかかると言われていて、面倒で治療に1回だけ行って放置していたのですが、昨日見ていただいたら、綺麗になっていて、完治しているということ(笑)つくづく、病院は一つだけではダメと痛感でした。
健康第一!
で、最近旦那氏が忙しくて、忙しいと活動宮過多なので、何故か知りませんが色々とストレスがたまるようです。月の4ハウスおひつじ座って本当に家では悪く出ると狂暴になるんですよね。経過火星のかに座の刺激もあったでしょうし。
はい。恒例の姿を隠す発作がw
もうね、他人の愚痴も言いたくないし、一方的な思考で周りを巻き込むからわたしストレスマックスなんですよ。
昨日、話し合いをしました。
言われた言葉・・・【めんどくさいから離婚する】って何十回と言われていますが、わたしは離婚する星を持っていますから、子どもが小さいことや、さそり座娘の将来や自分の体力の問題、持病の問題で自分で行動を起こすことができません。そう。歳がいくと、勇気がなくなってくるんですよね。何くそーとか、そういったものが薄れてきます。
まぁ、昨日はわたしのアセンダントに経過太陽のコンジャンクションが成立しましたから、もうボロカスに言ってやりました。
まだまだスッキリしませんが、色々と流すしかないのがストレスです。
それと、わたしの進行の月相がセクスタイルなんですよ。
これも影響しているのかなぁとも思います。
そう。少しの努力で矛盾を感じないようにしてしまう。
セクスタイルはメジャーアスペクトの中で、弱い作用だと思いますが、わたしのように150度のクインカンクス持ちは、セクスタイルはいつヨッドが形成されるかわからないのです。まぁこの時期自動的に成立なんですけど。
そう。出生の金星、木星と経過太陽でヨッド成立~(笑)
金星と木星のクインカンクスは、自分の価値観は木星の恩恵を感じにくく、発展性を鍛えてナンボです。人間関係や金銭のこと、身近なことに木星の改善や幸運というのを繋げる役目が少なく、バラバラで連動しにくいという特性があります。
で、そこに経過太陽が、アセンダントに光りを与える時期、毎年のようにヨッドが成立するのですね(笑)いつも、4月というのは、何十年も子どもの進学や進級ということで自分のことがおざなりななりやすく、疲労します(笑)
そして、進行の月相が偶々、セクスタイルということで、何だかわけがわからないですが、自己矛盾が少なく、慌てるという現象が起きているのです。
星は一つの影響だけではなく、それぞれの働きがあり、それぞれの影響をわたし達に与えてくれます。
今の状況は、良い状態でもありますし、一種悪い状態でもあるのです。
ここで、わたしの現在の木星年齢域である、7ハウスの木星の訓練です。
7ハウスは、他者を通じて成長する室でありますから、目の前にいる旦那氏はわたしのシャドウであり、見せつけられて落ち込んで・・・(笑)で、気が付くのですね。
まぁ、元々1ハウスに在室している惑星はないので、自分の中の【自我】ってわたしの中ではどうでも良くて。だから、他者からもたらされる様々なことは、衝撃が大きいし、水星と木星、冥王星の小三角形が通常モードなんで何て言うんでしょうか。自分の中で始まり、終わるということは普通のことなんですよ。だから、人を巻き込むこと(時々いるじゃないですか、承認欲求のクソ高い人、無理無理無理)とか、もう宇宙人です。全く共感できません。
例えば、親しくしていたのに、急にブロックされたーとかSNSで騒ぐ人なんて、本当に無理(笑)
それは、双方の言い分があるのだからね。
まぁ、ヨッドの影響、めちゃくちゃ受けてるなぁと。
木星が強制的に、もっと【他者を通して様々な選択】をせんかいって言うわけですよ。
何の修行やねん。本当に。
でも、わたしがこの3年ほど仕事一辺倒で、子ども、特にしし座娘のことを殆どしていなくて。何と小学校に入り、一度も髪の毛をセットしていなかったんです。この事実に驚愕でした。
家族のために、頑張って働いていたのに、その家族を犠牲にしていたなんて、本末転倒です。
そこで、わたしは、今回の旦那氏の騒動で本当に気が付いたのですね。
わたしにとっての属している集団は、小さく深いもので良い。拡げることは悪くないんだけど、わたしの場合の木星は、水星との吉座相がピカピカなので(出生図にはトラインがこれしかなし笑)
4ハウス、自分の環境を整えるために他者を通じて状況の改善をするということを身をもって知ったわけです。
人には、人それぞれの発展させる場所があります。小さな世界でもわたしにとっては大切な心の故郷であったり、安定するものだということに気が付けたわけです。
人から見たらクソであろえと、すぐ調子に乗ってしまうわたしには、必要な人なんだなぁと思いました。
目の前にいる人、大切な人のためにも自分の顧みるというのは大切なものですね。改めて感じた次第です。