どもーパリポーおばさん占い師です魔麻です。一部地域の方、雨の被害はどうでしょうか。暑さと雨と交互にきてますね。気圧も辛いし・・・・。身体、労わってあげてくださいね。
子どもとの縁を順番に見ています。
ご存じのように、さそり座娘は【血縁関係】の親子ではありません。ですが、愛情には何も変わりません。わたしが【人格形成】に影響を与え、身体と心を育んでいると自負しているからです。勿論、実母のこと。これは、彼女が大人になったら彼女の意志を尊重します。会いに行ったとしても・・・少しはショックかもしれませんが、でも、やっぱりそんな小さい事は言いたくないです。わたしはいて座の月ですから。彼女の未来の方がわたしにとって大切であり、価値があるという信念です。
さて、さそり座娘とのハーフサムの表示に驚きました。愛情軸の準直接があったのです。わたしのアセンダントと土星です。アセンダントは理解できます。彼女は最初からわたしに対しての【警戒心】がなかったのです。まだ2歳でしたが、人見知りが酷くて、フリーズする癖がありましたが、わたしとは、初対面で歌を歌ったのです。【おはげなんてないさ】を二人で元気に歌いました。土星は、そのままの意味合いです。わたしが彼女に対する愛情の根本は【責任感】です。彼女の将来に対して、いつも考えています。なぜこんなに責任を感じているのか、それが愛情がベースだったとは。そして、海王星が直接ヒットしています。わたしの海王星はいて座にあり、旦那氏の軸もヒットしているのですが、なるほど。こういう意味だったんですね。海王星は、まやかしですが、理想も示唆します。夢や希望をわたしに抱いていてくれていたわけね・・(笑)また転換軸もわたしの木星が直接です。正確な軸です。彼女はわたしと会って人生の転換を迎えてくれていたわけだと思うと泣ける・・・。また、家庭軸にわたしのアセンダントが準直接です。そして、旦那氏の5室のカスプもこの軸にヒット。旦那氏にとって、さそり座娘は間違いなく【喜び】の表示であるわけです。また、成功軸は旦那氏のアセンダントの軸になり、旦那氏の存在は、さそり座娘にとって、成功するきっかけとなり、大人になっていく過程での財産になる!そう思えるよう努力しないと(笑)
面白いことに、しし座娘の太陽も転換軸に準直接。妹が生まれた時は、8歳でした。それまで孤独だった彼女の身辺が、愛に溢れるきっかけとなったわけです。
さそり座娘がいつも言うことは
【産んでくれてありがとう】
です。最初は、小さな子どもにこんなこと言わせるなんて・・・とも思いました。でも、彼女にとって明るい未来に切り替わったわけです。しし座娘の小さな命が彼女の人生にどれだけ夢や希望を与え、生きる活力になったのか・・・。誰のためでもないのですが、頑張って産んだ甲斐があったよ。本当に。そして、極めつけは・・・・転換軸にわたしの太陽もあります。わたしの太陽、捨てたもんじゃないね。135度の軸にヒットしているわけです。この縁は、非常に強い。そりゃ、彼女を愛おしく思って当然です。そして、彼女の統治星は金星でサインはいて座になり、やっぱり、彼女は愛されることが当然であるのです。3室のカスプがいて座になるわけですから、【身近なこと】は幸福が約束されているのです。3室には冥王星がありますが、機敏軸にこの冥王星が直接の表示です。確かに、まだ見たことない、姉、兄が存在しますが、いつかきっと自力で会いに行くでしょう。3室の冥王星は、幼い頃の身近なことに絶望と希望を見出して、自分の【人生】に弾みをつけていくことではないでしょうか。幼い頃は、子どもはダイレクトに大人の影響を受けます。さそり座娘は、傍から見ていても、酷く過酷な状況でした。実母は僅か2歳で別れるわけですから。
実母にとって彼女はお腹を痛めて産んだ子です。愛情がないとも思わないし、実母なりの事情もあるでしょう。彼女もわたしと同世代なのでいて座の海王星が軸としてあります。確かの愛は存在します。ですが、海王星しかないのです。他に強力な表示がないことが、【海王星】の示す【はっきりしないもの】という意味で出てしまったのです。軸に同じ惑星があったとしても、運命は大きく変わることがある、根本は同じであっても、人は環境的要因、つまりはアクシデントに見舞われるということですね。わたしには、一生理解できませんが、実母なりに苦しんだことはあると信じたいです。自分の置いていった子が大人のせいで過酷な人生に翻弄されるかもしれないという想像力の欠落が産んだ悲劇みたいなものです。
2009年の太陽回帰図で驚くべき表示がありました。太陽/金星=進行の太陽です。正確なこの表示は、さそり座娘の【愛情軸】であります。愛情とは、互いに循環するもの。幸せは、1人で作るものではなく、たくさんの要因で構成されています。ですが、この歳に間違いなく、愛に溢れることが約束されていたのです。わたしが、彼女と出会ったのも、そういう縁である。そう思うと、出会えてよかったですし、たくさんのことを乗り越えた意味が、【愛】の表示であると思うんですよね。わたしが彼女に与えたものは、【愛】でありますが、わたしの最大のものをもらっています。8室の月であるわたしにとって【継承】は、原始的欲求の一つであります。彼女の【与える愛】は、わたしの月が泣いて喜ぶものであると断言できます。