親子は業。

どもーパリピーポーおばさん占い師まあさです。

子どもの立場にあり、親の立場。色々あります。

親には親の気持があり、感情があります。それと同時に子どもにも子供の気持があり、感情がありますよね。
相対的なものでもあり、どんな関係でもそれぞれの気持を汲むということは難しい。

子供時代は、理解できなくて親に不信感を持っても、その立場や年齢になって初めて気が付くことは多々あります。
親が子供にしてあげたいことと、親が子供にできること、親が子供にしなければいけないこと。いっぱいありすぎて親も大変なのよー。

わたしなりの意見ですが、こう思うのです。

「自立」

ですが、金銭的なこと、精神的なことは別物です。
仕事もしないで親の脛をかじっていると端から見るとそう感じている場合でも、親御さんの事情があるかも知れない。一概には、こうだということは言えない。
とても生活ができる状態じゃないかも知れない(持論では、子どもの自由を奪うのは否定的ですがね)し、それは、その家族の問題で入る必要のないことですから、そこは、軽々しく言ってはならないなと感じます。

自立とは、金銭的に独り立ちができるように支援すること。精神的にも徐々に巣立つ準備をしていくこと。親という立場なら、自分が両親の庇護のもと、どんな道をたどってきたのか、その時にどんな気持ちだったのかということも考えながら言葉や行動をするべきではないのかなと感じます。

人というのは、1人で生きているのではなく、目に見えないことに支えられています。自分1人の力も勿論大切ですが、周りの方々へ対する配慮や感謝の上、社会というのは成り立っているわけです。その方々への感謝は当然親も持つべきことであり、自分の子供が誰かにお世話になっているかも知れないと思えば自然と、自分のできることは社会でどんなことだろうと思い、行動するものでありたいと感じます。

「自分の子供を精神的に手放すことができずにいつまでもいつまでも無意識で縛り付けている親がたくさんいます。」

こういうのを見かけたんだけど・・・こういうのって、ある側面であり(間違いなく毒だけど)文章から考えると、そういった感情が精査されていない親という部分からフォーカスしていますが、ある意味怠った思考でしょうね。

親と子の関係性は一生です。

物理的距離を強制的に取り、深く関わらないという選択もできるわけです。

そして、自分の人生そのものにフォーカスすること。親が困っていたら、自分ができることだけ考えれば良いし、罪悪感を持つならそれを少しづつ自覚して持たない時間を増やすことなども良いかも知れません。そして、ええ歳してそこにフォーカスしてしまうことを少しでも疑問に思うことです。人には、それぞれ悩みはあります。一生、悩みます。

だからこそ、その悩みが何故なのか、向き合っていくことや向き合うことが辛いなら、会わないことや話さないことを選択することも間違いではないです。毒親とは物理的距離が一番最適ですよ。

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