あまり変わらないであろう価値観。

さて、恋愛ネタが続いています。ちょっとどころか大分に錆びた感性で古い部分もあるかもしれませんが、実は恋愛って今も昔も変わらないのではないかとも思うなんですよね。よく、経済的に打算的な結婚ってむ非難囂々ですが、わたしはまったく悪くないと思っています。ただ、そこに愛というのは絶対的にあった方が良いです。相手を敬う気持ちも愛の一つであります。

恋愛を謳歌することで、人は喜び充実します。この充足感は次世代を愛する大切な要素の一つであります。わたしも今まで照れ屋だったんで言えなかったけれどうたちの旦那氏、結構屎なところはあるんですが、やっぱりわたしは愛しているんだと思います。だから、一緒にいれるわけです。そして、老体に鞭を打って愛する男の子どもを育てているんですよね。

勿論、子どもだけではありません。安定した生活が必要な方は旦那さんの収入を愛せばいいし、顔が良くないとダメと言うなら、見た目でもいいじゃないですか。逆に働きが悪い男でも、自分が稼げばいい。そう。昔と恋愛や結婚がもし変化したならば、互いの役割分担がとても緩くなったということでしょう。ひと昔前なら、男が稼いで女は家を守るのが当たり前でしたが、これからは【平等】であっても良いんです。

そう何でもオッケーなんです。二人の問題は周囲の目も親族も関係ありません。どこかに帰属しなくても自らの足でしっかり立って互いにシェアしていくことがとても大切になってくるのです。

恋愛。それがは充足感の経験であり、人を愛すること、愛されることを知ると強くなれます。そして、その気持は自然と循環できるようになり、依存的な関係性ではなく、自立した関係性へと変容していくと思っています。

これが風の時代、冥王星が水瓶座の位置になる本当の無意味ではないでしょうか。

わたしは、火星が水瓶座でアセンルーラーなもんで、とても楽になります。すぐ、平等とか言っちゃって昭和の男から結構、批判されますので(笑)

愛や恋とは、いきている実感を得るための手段であり、互いが互いを認め合える関係性、それが【パートナーシップ】であると最近強く思えてきます。

そんなこんなで、恋愛を謳歌するためのワンポイントアドバイス、まだまだ続きますので昔取った杵柄をお楽しみに!(誰得?)

タイトルとURLをコピーしました