みんなが思う親子関係。良い、悪いだけでは判断できないのが苦しいわけです。親も選べないけれど子も選べない。でも、もし自分が親になったら理想は膨らみます。この子はちゃんと幸福に生きられるのかと。
わたしの中での子育ては【信念】であります。そしいて、教養。学歴が低くても、教養があれば何とかなります。また、コミュケーション能力。これも大事であります。会話が一方通行ですと、関係が破綻します。仕事でも、パートナシップでも。だから、雑学や知識はないよりあった方がいいです。
我が家の旦那氏は少しばかりコミュケーションに問題があります。でも彼のせいでもなんでもなく、この年代は似たり寄ったりの環境です。ちょうど、85歳ぐらいの所謂戦中生まれの親を持つ世代は割とこういう環境で育った人が多いのが特徴であります。家庭を省みず、仕事しかしない、企業戦士の世代は日本が大きくなっていく過程で問題をすり替え、歪を生み出したとも思っています。
我が家は、わたしが権力を振りかざすため(笑)僅か10歳の子にも会話などに問題があると思うと容赦しません。だからと言ってわたしがコミュケーションが完ぺきではないのですが、その辺りは信念がありますので、とにかく自ら考えること、意志を明確化することをモットーとしています。
詰まったりするのはいいんだけど、どうしたいか?という言葉が出てこないとわたしに詰められるので、子供たちも旦那氏も戦々恐々(笑)おかげ様で、社会性は高くなっています。
そういえば、わたしの親も知的活動は盛んでした。教育より教養を重視していましたので親子の会話が多かったです。これがわたしの土台であります。
それでも、生きていれば親と意見が合わないことも多々ですし、子どもも反発してきますので、いつも勉強です。
現在社会に於いて、今後益々の【知的活動】というものが必須になってくると思います。そして、わたち達の年代の弊害である【学校教育への夢想】も益々崩壊していくでしょう。教師や学校教育とは、集団性を学ぶ場所であります。個人を育むのは家庭の管轄であります。一教師の思想や理念など、影響を受ける情緒が問題ありなのです。だって教師だって仕事ですよ。教育者の前に労働者だったてうの。変な教師がいても家庭がしっかりしていれば、何ら問題はありません。どっかの中年がほざいているのを見て笑うしかありません。だって、親がしっかりしていれば、教育方針が確立されていれば、自己肯定感も勝手に育ちます。
何はともあれ、親も子も自立すること、物質的にも精神的にも必要な時代になったということですね。