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2025年6月15日に放送されたTBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」で、田原俊彦氏の発言が物議を醸している。アシスタント女性アナウンサーに対して「真ん中の足はもっと上がるんだけどね」と発言。続けて「今もギンギンです」と語り、手を指で触れる場面もあったという。
この発言を受け、TBSは田原氏のマネジメント側に再発防止を申し入れたと明かした。また、番組内で女性アナウンサーが「やめてください」とはっきり拒否の意思を示していたことも報じられており、その点においても世間の注目を集めている。
メディア業界の現場では、バラエティという形式のもとで「笑いに変える」という無意識の圧力が存在する。しかしながら、令和という時代において、性に関わる発言がいかに慎重であるべきかという感覚は、今や常識となっている。そのズレが今回露呈した形だ。
ある女性誌の編集者はこう語る。バラエティの現場は空気で流されやすい。でも、女性アナウンサーは明確に拒否の意思を示していた。田原さんはその時点で即座に気づくべきでした。あの一言は完全にアウトだったと言わざるを得ません。
背景には、田原俊彦氏の芸能界における特殊なポジションがある。80年代のトップアイドルとして長年チヤホヤされ、誰にも注意されずにベテランとなった。かつては許されていた軽口や下ネタが、今の基準では明確なハラスメントになることを自覚できていなかったのだろう。
今、多くの芸能事務所では、タレントに対するハラスメント講習や倫理研修を義務づけている。しかしながら、昭和から平成初期に活躍したベテラン世代にとっては、そもそもハラスメントという概念すらなかった時代であり、アップデートされていない実情が浮き彫りになる。
この問題の根は深い。たった一言の無神経な発言が、出演番組の継続やCM契約の白紙など、キャリアに致命的なダメージを与える。ベテランであればあるほど、時代感覚と倫理の再学習が不可欠なのだ。失言ひとつで地盤が崩れる時代なのだ。
この騒動は、田原俊彦氏だけの問題ではない。社会全体に通じるテーマである。世代間の感覚ギャップ、軽口のつもりが傷になる時代、そして何より、無意識の加害性にいかに気づくかという現代的課題がそこにある。芸能界のみならず、私たち全員の問題である。
今回の件で、TBSの対応は比較的迅速だった。相手側から謝罪があり、局も対応を表明したことは評価に値する。ただし、それだけでは不十分だ。問題の本質は、なぜそれが起きたのか、どうして止められなかったのかにある。
田原俊彦という存在が、今もなおテレビに出られるという事実がある以上、彼の振る舞いは、次世代に対して大きなメッセージとなる。もう、笑いで済ませる時代ではない。自らの言葉の責任を自覚すること、それが今、求められている最低限の姿勢なのだ。
2024年6月15日に放送されたTBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」で、田原俊彦氏の発言が大きな波紋を広げた。アシスタントの女性アナウンサーに対して、「真ん中の足はもっと上がるんだけどね」と発言し、さらに「今もギンギンです」と続けた。また、手を指で触るという行為もあったとされており、番組内外で問題視されている。
この発言を受け、TBSは即座に田原氏のマネジメント側に再発防止を申し入れ、相手側からは謝罪があったことを発表した。女性アナウンサーは放送中にはっきりと「やめてください」と拒否の意志を示しており、その毅然とした態度には評価の声が集まっている。
しかしながら、問題は一過性の騒動では済まされない。ある女性誌編集者は「バラエティの現場では空気に流されやすいが、明確に拒否されているにもかかわらず軽口を続けた点は極めて重大。田原氏の発言は完全にアウトだった」と断じている。
背景には、田原俊彦氏の長年のキャリアと芸能界での立ち位置がある。1980年代からトップアイドルとして活躍し、周囲からの注意や指摘を受けることなくベテランとなった。そうした過程で、社会全体の意識が変化する中、自身の感覚が更新されずに残っていたのではないか。
そして、ここにある構造的な問題として、わたしのほんの少し上の世代は正直、怒鳴る、けなす男性が多いことも事実である。それは単に個人の性格ではなく、社会が長年かけて作り出してきた歪である。時代の空気、男性優位の文化、笑いに包まれた差別が、そうした態度を温存してきた。だからこそ、いま声を上げなければならない。
現代は、ほんの一言の不用意な発言でも大きな社会的責任を問われる時代である。芸能界では多くの事務所がハラスメント研修を義務化しているが、昭和から平成初期の価値観を引きずるタレントにとって、それを理解し行動に反映させるのは容易ではない。
だが、それは理由にはなっても、免罪符にはならない。社会は変わった。時代に合った言動が求められている。笑いという大義名分のもとに、誰かの尊厳や安全を脅かす発言を許容してはならない。とりわけ、公共の電波に乗る発言には、その重みを意識すべきである。
田原氏のように、若い頃に築いた栄光のイメージを背負って生きている人物こそ、最も注意を要する。世代的なズレ、認識の甘さ、悪意なき加害性は、今や免責されない。むしろ、年齢や経験を重ねた人間だからこそ、時代との接点を持ち直す努力が必要だ。
この騒動は、田原俊彦個人の問題にとどまらず、広く社会全体に向けた警鐘である。ハラスメントの基準が曖昧だった時代から、明確に線引きされる時代へと変わった今、自らの常識を再点検しなければならない。無意識の一言が、取り返しのつかない結果を生むこともある。
TBSの対応は迅速であったとはいえ、本質的な再発防止にはつながらない。なぜその発言が出たのか、なぜ止められなかったのか、それを構造的に見直す必要がある。芸能界全体に、再教育と継続的なモニタリング体制の構築が求められている。
田原俊彦という象徴的な存在が、時代の節目に晒されたことの意味は大きい。視聴者の感覚も変化している。もう、あの頃のままでは通用しない。過去の栄光にすがるだけではなく、未来へと繋がる振る舞いが今、求められている。
また、冥王星の星座の違いで世界観(集合意識)は確実に変容している。
♇乙女座世代(1957〜1972年頃)
この世代は「仕組みを作り、徹底的に機能させる」ことに長けている。高度経済成長期に育ち、集団や制度の中で「正しさ」「常識」「役割分担」を重視する傾向が強い。責任感が強く、現場主義で、泥臭くても成果を出すタイプが多い。だが一方で、個人の感情や多様性には不寛容になりやすい一面も持ち合わせており、ハラスメントの概念にも鈍感なまま歳を重ねたケースも多い。
♇天秤座世代(1971〜1984年頃)
個人よりも「関係性のバランス」に関心がある世代。正義感は強いが、それは他人との調和の上に立ったものである。男女平等や人権といった言葉が身近になったのもこの時代で、対話・折衷・美意識への関心が高い。ただし、内面は葛藤を抱えがちで、自分の感情よりも空気を優先する場面も多い。わたしたちの多くがこの世代であり、理想と現実の折り合いを模索しながら、時代を繋ぐ役割を担っている。
♇蠍座世代(1983〜1995年頃)
表面的な関係では満たされず、「深くて濃い絆」「真実の探求」を求める世代。SNSでは表せないような魂の深層を知覚し、力強い変容を遂げる傾向がある。家族や恋愛関係においては、徹底的な一体化か絶縁か、極端な選択をすることも。トラウマを超えていくエネルギーを内在しており、ヒーラー、カウンセラー、探究者に向くタイプが多い。
♇射手座世代(1995〜2008年頃)
この世代は「真理を探し、世界へ飛び出す」旅人のような精神性を持っている。グローバル志向で、国境や文化の違いに寛容。学びと自由を同時に愛し、オンライン教育やフリーランスという新しい働き方にも適応しやすい。ただし、地に足をつけるのが苦手な傾向もあり、理想と現実の乖離に悩むこともある。自分の信じるものをどう社会と共有していくかがカギ。
♇山羊座世代(2008〜2023年頃)
社会そのものの構造に対して、根源的な問いを投げかける世代。「そもそもこのルールって誰のためにあるの?」という視点で世界を見る。幼少期から不況やパンデミック、政治的混乱を目の当たりにしており、早熟で現実的。自立心が強く、若くして起業や社会運動に参加する者も少なくない。一方で、過度な責任感に潰れそうになるケースもあるため、支援と共感の環境づくりが重要。
♇水瓶座世代(2023年〜2043年頃)
この世代はまさに「集合意識」そのもの。物理的な距離や言語の違いを超えて、価値観のネットワークを築く能力がある。個性と多様性を尊重しながらも、調和の取れた共同体を築く志向性を持つ。AIやメタバースといった次世代テクノロジーに自然と親和性を持ち、人類全体の進化に貢献する存在になっていくだろう。自己表現と共同創造のバランスが、魂の鍵になる。
この辺り、我らの年代から少しづつ強制が必要である。
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