27年目の再会──P月が導く、あの頃のわたしと今のわたし
2025年7月31日、朝。空を見上げながら、わたしのP月が射手座に入ったことを知る。セカンダリー(進行法)を学んでいる者にとって、P月の移動は一つの節目だ。今回は特別だった。なぜなら、約27年と4か月をかけて、わたしのP月がネイタルと同じサイン──射手座へと還ってきたからだ。
27年前。まだ会社員だったわたしは、まさに今と同じように「切り替わり」の渦中にいた。
期末の数字に追われ、気力も体力もギリギリ。帰宅したら育児が待っていた。息子はまだ3歳。保育園への送り迎えは自転車。仕事も子どもも、どちらも命がけで向き合っていたあの頃のわたしに、いまのわたしがひとこと声をかけられるなら、こう言うだろう。
【すぐ楽になるから、みんなに手を借りながら、この密度を味わって】でも、当時はそんな言葉を聞く余裕もなかった。社会の期待も、母親像も、女性像も、すべてが「自己犠牲」を当然としていた時代だったのだ。
女性が輝くと、なぜ家庭が暗くなるのか?
このP月の節目を迎えて、ふと気づく。27年前と、今のテーマが驚くほど似ている。そう──【パートナーシップ】である。
当時のわたしは、「女性としての幸せ」と「社会での成功」が見事に噛み合わなかった。仕事をすればするほど、家庭の中の空気はどこか重くなる。いわゆる【ガラスの天井】ではなく、【ガラスの食卓】だった。
夫婦の会話が減り、視線も減り、最後には尊敬も消えていく。
それでも、当時のわたしは耐えた。家を守ること、子を育てること、仕事をこなすこと──三つ巴の戦いを、誰に認められることもなく、孤独に闘っていた。
♇乙女座世代の業──「役割」に縛られた女たち
ここで、占星術的な視点を少し入れたい。わたしの世代は、冥王星が乙女座にある【♇乙女座世代】。この世代のカルマは「役割への執着」だ。
表面では自由と平等が叫ばれつつも、家庭の中ではまだまだ【妻とはこうあるべき】【母親とはこうでなければ】という目に見えない檻が存在していた。
他人の奥さんが輝いていたら「すごいね」「頑張ってるね」と称賛するくせに、自分の妻が同じことをすると、途端に「家庭を顧みない」「女らしくない」と眉をひそめる。
そういったダブルスタンダードの中で、わたしたちは呼吸してきた。
現在だったら、即離婚。それでもあの頃は……
今の若い世代の女性たちがもし同じような状況に置かれたら、きっとこう言うだろう。
【そんなこと言われたら、即離婚しますよね】
そのとおり。だが、わたしたちはできなかった。なぜなら「そういうものだから」という空気に完全に呑まれていたからだ。
職場でも、家庭でも、「女なのによくやってるね」「子どもいるのに頑張ってるね」と言われることが誉め言葉だった。
今思えば、ものすごい違和感。けれど、当時のわたしたちはそれを飲み込むしかなかったのだ。
赤緯の変化と、魂の軌道修正
天文学的に言えば、P月は今後、赤緯の値をどんどん上げていく時期に入る。これは「魂がより高い視点を持つ」ことを意味しているように感じる。
地上での役割に縛られ、汗と涙と自己犠牲で築いてきた人生。けれど、そろそろわたしたちはそれを手放し、「わたし自身の人生」を取り戻すときに来ているのかもしれない。
P月が射手座に戻ってきたこのタイミングで、わたしはひとつの再会を果たした。
それは、かつての自分との再会。そして、ようやく許せるようになった【あの頃のわたし】との和解だった。
今なら、もっと軽やかに生きられる
わたしはいま、こうして言葉を紡ぎながら、心の中であの頃の自分に言葉を贈っている。
【大丈夫だよ、あなたはよくやった。あの努力は、いまのわたしの血肉になってる】
そして今、同じように仕事と家庭の間で苦しんでいる女性がいたら、そっと伝えたい。
【全力じゃなくていい。うまくやろうとしなくていい。誰かに頼ってもいい。立ち止まってもいい。大切なのは、目の前の子どもと、あなた自身の笑顔】
おわりに──人生は螺旋階段、似たようでいて確実に上昇している
27年前と同じサインに月が戻った。でも、同じではない。わたしは変わった。そして時代も少しずつ変わってきた。
それでもまだまだ課題は残る。女性の活躍が賞賛される一方で、「男のプライド」を過剰に保護しなければならない空気もある。
だが、わたしたちは気づいている。
人生は直線ではなく、螺旋階段だということを。
似たような景色を何度も見るかもしれないが、それは確実に上へ、光の方へと向かっている。
そしてその螺旋の中心にあるのは、いつだって【あなた自身の魂】なのだ。