一般的に地サインと呼ばれる牡牛座、乙女座、山羊座は、常識的で堅実、そして保守的な性質を持つとされている。真面目で家庭的で、軽薄さとは無縁のように見える。世間の占星術の入門書や解説でも、そのような表現が繰り返されてきた。だが、実際に長年彼らと深く関わってきた経験から言えば、必ずしもそのイメージだけでは語れない。むしろ、地サインの男性は精力的で好色、そして欲望に忠実である場合が少なくないのだ。
私は人生において、なぜか地サインの男と縁が深かった。子どもたちの父親たちは皆、太陽が地サインにある。もちろん表向きは家庭を重んじる真面目な人物であった。牡牛座の夫は、衣食住に強いこだわりを持ち、家庭に安定をもたらそうとする姿勢があった。山羊座の夫は、仕事への責任感と成果への執着が強く、失敗しても諦めず挑戦し続ける姿勢を見せた。こうした特質は、まさに「地」のサインの典型に思える。だがその内側には、強烈な情欲が燃えていることを、私は身をもって知っている。
牡牛座の夫は、私と結婚していた若年期は「家庭」という殻に守られ、窮屈さを感じていたのだろう。別れて十数年が経った今、彼は結婚には全く興味を持たず、独身生活を謳歌している。だがそれは禁欲的だからではなく、むしろ自由な遊びを求めているように見える。山羊座の夫は、一度の挫折では止まらない。再婚、離婚、再挑戦を繰り返すチャレンジャー気質を隠さない。その精力と行動力は、真面目さと同じくらい「好色さ」と結びついているように思える。
芸能界の例を見ても、地サインの男性の奔放さは目立つ。乙女座の玉置浩二は結婚歴4回。山羊座の吉田鋼太郎は、歳を重ねてもなお派手な女性遍歴を持ち、堂々と愛を語る。山羊座生まれの北野武は、若き日に愛人をめぐって騒動を起こした。同じく山羊座の小栗旬も4人の子に恵まれた家庭人でありながら、常に女性スキャンダルが尾を引く。政治家の玉木雄一郎も牡牛座であり、不倫スキャンダルと強烈な精力ぶりが報じられている。これらは偶然だろうか。
私の体感では、偶然ではない。地サインの男は、根っこの部分で「生きる力」と「欲望」を強烈に持っている。牡牛座は五感の快楽に忠実で、肉体的な満足を求める。乙女座は身体と健康を司るサインであり、細やかな管理と共に、時に隠れた性的好奇心を抱える。山羊座は社会的野心と権力欲が強く、それが性欲とも結びつきやすい。つまり、地サインは根源的な「身体性」をベースにしているため、堅実さと情欲の両方を併せ持つのだ。
さらに重要なのは、水星と金星の位置である。太陽が山羊座にあっても、金星や水星が柔軟宮にある場合、倫理観はぐっと変わってくる。例えば金星が射手座なら、自分なりのモラルをつくり、社会の規範よりも自由なルールを優先するだろう。水星が射手座なら、思想的な冒険心や言葉遊びを通じて浮気を正当化してしまうかもしれない。水星や金星が水瓶座なら、社会の常識よりも自分の理想を優先し、型破りな恋愛観を抱く可能性がある。蠍座にあるなら、単なる遊びではなく「真実の愛」を求め、不倫であっても命がけの執着に変わるだろう。魚座にあるなら、境界線が曖昧になり、愛と情欲と同情が混ざり合い、関係の線引きが難しくなる。このように水星と金星の位置は、地サインの「好色さ」に独自の色を与えるのだ。
では、なぜ男性は「好色さ」が目立ち、女性はそうでもないように見えるのか。これは性差と社会的な背景が大きい。男性は文化的に欲望を外に表出させることを許されやすく、征服や所有の形で表現する傾向がある。一方、地サインの女性はリスクを本能的に避け、安定を優先する。彼女たちもまた欲望を持っているが、それを無駄と感じたり、家庭内に封じ込めたりする場合が多い。結果として、男性は「好色」とされ、女性は「堅実」とされるのだ。
私はこの矛盾を、むしろ「地」というエレメントの正直さだと思う。地は、火のように燃え上がるのではなく、水のように流れるのでもなく、風のように拡散するのでもない。地は「蓄える」。だからこそ、家庭や財産を守る力になると同時に、性欲や快楽も内側に溜め込み、強いエネルギーとして噴き出すのだ。その爆発は時に家庭を壊し、時に新しい愛を呼び込む。善悪ではなく、力の性質として理解すべきだろう。
私自身、地サインの男たちと縁を持ったことで、この二重性に何度も翻弄された。表では家庭的で真面目、裏では奔放で好色。だが考えてみれば、それは彼らの「偽り」ではなく「両立」なのだ。社会的責任と個人的欲望をどう並べて生きるか。その葛藤が彼らを人間らしくし、時に滑稽にし、時に魅力的に見せる。
最後に言いたい。地サインの男たちよ、あなたの好色さは恥ではない。ただし、誠実さと同居させることを学べ。欲望を隠すな、だが無責任にばらまくな。その力を誰かの心と身体を癒す方向に使え。地サインの女たちよ、あなたの慎重さは美徳だが、欲望を完全に封じる必要はない。リスクを恐れるあまり自分を殺さず、地に足をつけた愛を育め。
結局のところ、地サインの好色さとは、人間の根源的な「生の欲望」が姿を変えて表れる現象だ。家庭を築き、社会に挑み、同時に欲望に従う。その矛盾を抱えてこそ、彼らは「地に生きる者」なのだ。