オープンチャット「タラッサ魔麻〜星を味方にする!〜」
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現在、占星術界においてはモダン占星術が主流となっています。古典技法の難解さを鑑みれば、入り口としてのインパクトや受容の広さは妥当であると言えるでしょう。わたし自身、モダン占星術という体系そのものに対して、基本的には肯定も否定もいたしません。鑑定や鑑定書作成の場においては、お客様のチャートを拝見しながら、用いる言葉や表現には細心の注意を払っています。言葉は時に、無意識のうちに人を傷つけてしまう刃になり得るからです。
しかし、占星術と心理というものを安易に結びつける昨今の風潮に対しては、真っ向から否定の意を表明します。それは学問に対する冒涜であり、先人が命を賭して繋いできた知恵の改竄に他ならないからです。
第1章:心理という聖域への不遜な侵入
わたしが心理占星術を安易に扱う者に強い拒絶感を抱くのは、心理を扱う民間資格の多くが、単なる金儲けの道具に成り下がっているからです。人はそれぞれ、数多の苦闘や幸福を経験しており、1000人いれば1000パターンの人生が存在します。本来、心理を扱うには高度な専門技術が必要であり、精神科医の方々でさえその扱いには日々苦悩されています。多くの人間は、自分自身の心理パターンすら把握できていないのが現実です。
わたしが尊敬する師匠たちは、心理というものに対して極めて慎重かつ真摯に向き合っていらっしゃいます。わたしの占星術の師である工藤明彦先生は、人生経験も実践経験も極めて豊富であり、知恵袋という場において10数年もの間、無償で回答を続け、人々の苦悩に寄り添ってこられました。
そして、もう一人の師匠であるマリア先生もまた、今この瞬間もずっと学び続けていらっしゃいます。その学び続ける姿の尊さ。術師としての研鑽に終わりがないことを、その背中で示してくださっています。このずっと学び続けるという姿勢こそが、術師としての尊さであり、責務なのです。
ところが、昨今の心理占星術はどうでしょうか。専門的な訓練も民間資格すら持たない人間が、崇高な学問である占星術と心理を安易に結びつけ、他者の内面を断定する。この現状に、わたしは強い危機感を抱いています。
第2章:アラン・レオの失意と遺された光
モダン占星術の父とされるアラン・レオ氏は、かつて逮捕されています。1914年、54歳の時に占い取り締まり法によって起訴されました。当時は金銭を伴う占断が魔術や詐欺に該当するとされた、今では考えられない時代背景がありました。彼はこの最初の裁判では証拠不十分で罪を免れましたが、その3年後、再び同様の罪で起訴され、有罪判決を受けます。そして、その判決の直後、心臓疾患の悪化によって失意のうちにこの世を去りました。
彼は占いという行為を不法に振りかざしたという不名誉なレッテルを貼られ、絶望の中で亡くなったのです。しかし、彼のその死が後世の光となったことを、当時の誰が想像したでしょうか。偉業とは、自己の信念を曲げず、罪を罪としない強固な軌跡によってのみ成し遂げられるものです。
アラン・レオは、批判と弾圧に耐え、身心に甚大な疲労を抱えながらも占星術を次世代へ繋ぎました。革命を起こす者には、命さえも失う可能性が常に付きまといます。その重みを理解せず、彼が命懸けで守り抜いた体系を、安易な自己啓発や心理学の模倣品に仕立て上げることは、彼の死に対する冒涜に他なりません。
第3章:月の欠損という欺瞞の否定
占星術を扱う人間が、特定の理論、例えば月の欠損といった安易なレッテル貼りを推奨することはあってはならないことです。それはアラン・レオが、そして多くの先達が命を懸けて守ってきた占星術の多面的で崇高な真実を、あまりにも矮小化する行為です。
占星術師の仕事は、捻じ曲げられた解釈で人を煙に巻くことではなく、チャートに克明に記された事象を、緩急をつけて正しく伝えることです。そこには心理的な慰めを介入させる余地などありません。事実に根ざした占断こそが、結果としてお客様の自立と、情報の取捨選択を助ける唯一の手段となるのです。
結論:術師として学び続けるという責務
占星術を真摯に捉えるということは、ひたすら学び続けることと同義です。アラン・レオが失意の中で遺した光を、私たちは正しく受け取らねばなりません。心理という高等な領域を、金儲けや一時的な癒やしの道具に落としめるのではなく、学問としての占星術を究めること。自分の環境や苦しみがなぜ起きるのかという問いに対し、チャートが語る冷徹な事実をもって答えること。その責務を果たし続けることこそが、この崇高な学問に関わる人間に課せられた宿命です。


