オープンチャット「タラッサ魔麻〜星を味方にする!〜」
↑こちらクリックしてね
オープンチャット「タラッサ・まあさ~戦略占星術・日々の解説」です。お得な情報満載です。

期間限定の募集です。
女として50年も生きていれば、瑞々しく潤った旬の季節もあれば、からりと乾いて枯れ果てたような時期も通り過ぎていくものです。若さに任せて羽を広げたあの頃や、重荷を下ろしてふっと身軽になった瞬間は間違いなく華やいでいたし、一方で日々の生活に追い立てられ、自分のことなど後回しにせざるを得ない時間は、鏡を見る余裕すら奪われていたかもしれません。それでも、どんなに荒波に揉まれても女を捨てない人でいられるのは、ある種の見事な覚悟であり、天晴れな生き様だと感じます。
振り返れば、かつての私は今で言うところのプレイガールそのものでした。惚れっぽくて、そのくせ熱が引くのも異様に早い。恋に身を焦がして涙を流した夜も数えるほどはありますが、それ以上に疾風怒濤のような日々を駆け抜けてきました。結婚生活についても、手放しで素晴らしいと言い切れるほど甘いものではなく、楽しさや喜びの裏側に、時に息が詰まるような苦しさや、まるで修行か拷問かと思えるような忍耐の時間を積み重ねてきたのが本音です。それでも、最終的に結婚して良かったと断言できるのは、子どもを育てるという唯一無二の経験ができたからに他なりません。
母性というものは、最初から完成されているわけではなく、お腹の中で命が育つ音を聴きながら、戸惑いとともに少しずつ芽生えていく不思議な感情です。そこから10数年、寝食を忘れて世話を焼き、悩み、苦しんだ歳月は、通り過ぎてしまえばかけがえのない宝物として胸に刻まれています。そんな波乱万丈な歩みの中で、ふとこれまでの恋愛遍歴を振り返り、関わりのあった男たちの生年月日を並べて検証してみたところ、驚くほど偏った、けれど納得のいくデータが浮かび上がってきました。
私の人生に足跡を残した10人のうち、なんと6人までもが牡牛座の太陽や月を持っていました。牡牛座は私の星の配置から見ると、心地よい刺激をくれる角度にあり、なおかつ物質的な豊かさや肉体的な実感を示す場所を司っています。官能的でどっしりとした牡牛座の質を持つ男たちが、理屈抜きで私の好みのど真ん中を射抜いてきたのでしょう。好きな芸能人として挙げる安藤政信氏や竹内涼真氏の顔ぶれを見ても、自分の好みがいかに単純で一貫しているかが分かります。
逆に、全くと言っていいほど縁がなかったのが乙女座と天秤座です。これは非常に象徴的で、私のチャートではこの領域が奉仕や労働、あるいは目に見えない調整を強いられる場所に重なっているからです。無意識のうちに、プライベートな楽しみの中に仕事のような緊張感を持ち込む相手を避けていたのかもしれません。ライツである蟹座や射手座の男たちも少なく、私の周りには牡牛座や双子座、次いで牡羊座や水瓶座といった、どこか軽やかで、あるいは強烈な個性を放つ顔ぶれが揃っていました。
さらに、歴代の夫たちが揃いも揃って牡羊座の月を持っていたことです。これは私の月と完璧に共鳴する配置でありながら、同時に私が相手を陰ながら支える役割に回りやすいことを示しています。時代背景もあったでしょうが、私は彼らと家族になるたび、いとも簡単に内助の功を尽くす女へと姿を変えました。ひたすら尽くし、表舞台に立つ彼らを影で支える。それが当時の私にとっての自然な振る舞いだったのです。
恋愛にせよ結婚にせよ、その形は人それぞれです。けれど、他人さまの大切な恋の行方や結婚の行末を占うことで対価をいただく立場にある私にとって、こうした自分自身の経験に基づいた生きたデータは何物にも代えがたい武器となります。普通の主婦であれば、派手な遍歴は勲章にはなりませんが、この仕事においては、結婚も離婚も、情熱的な恋も痛切な失恋も、すべてが相談者に寄り添うための糧となります。
しかし、酸いも甘いも噛み分けた今、最も大事だと痛感するのは、恋だけが人生のすべてではないということです。その年齢、その立場でしか作り得ない器をしっかりと育てること。20代には20代の青く輝く器があり、無理に背伸びをせずその瞬間を謳歌すればいい。そして50代には、この歳を重ねたからこそ醸し出せる、芳醇で深い味わいのある豊かさが存在します。
不思議なことに、私が人生の節目を迎えた時の星の配置を辿ると、幸運を呼ぶと言われる星よりも、試練や固める力を司る土星が色濃く関わっていました。結婚を決めた時の土星は常に水の星座にあり、授かった子どもたちも魚座や蠍座の土星を持って生まれてきました。私の太陽と調和する瞬間に命を宿し、生まれてきた我が子たち。結婚や出産という人生の土台を固める出来事は、華やかな広がりよりも、重責を引き受け、根を下ろす決意を促す土星の導きによってもたらされることが多いのです。
50年の歳月を経て、私はようやく自分の器の形を知り、そこに注がれる運命を静かに受け入れられるようになりました。旬が過ぎたからといって輝きが失われるわけではありません。土星が刻んだ深い皺さえも、誠実に生きてきた証として誇りに思える。そんな芳醇な季節を、今、私は心から楽しんでいます。


