権力者に蝕は有効か。其の三。

 

勝手に戦国シリーズ。徳川家初代将軍の家康氏にスポットを当ててみましょう。

家康は、御母堂が賢い方で、亡くなってから東京都文京区に【伝通院】を建立され、心を込めて弔いました。母の愛をたくさん感じながら育ったわけです。女性遍歴は相当で、最初の妻である【築山御前】は今川の姪でしたが政略結婚で、二度目も日戸好の妹【旭姫御前】と半ば強引に政治的意図で結婚させされたため、余計に自由恋愛に晩年勤しんでいました。家康の金星はみずがめ座。金星はノーアスペクトで、晩年になればるほど、若くて健康的な女性を好んだとか。それと同時に後家好き。これも、変わった趣向ですが、政治的意味も含まれていますね。後家と言えば経産婦を昔は示していましたが、子ども共々引き受けて、譜代にする辺り、水星のやぎ座を働かせていたのだと想像します。サビアンは【法王】よ。まんまやん(笑)月はやぎ座でOOBしているため、常に自身の日常は戦略、責任をどうやると良いかということを考えていたのでしょうね。健康オタクたったのも、土星が6ハウスにあるため。医者も舌をまくほどの知識だったとか。

家康と言えば、【神仏仏閣】ですが、9ハウスの太陽と冥王星が合。金星も水星もあります。の当時の博識さや遠くに思いを馳せる精神性の高さを物語っていますね。月は7ハウスにあることから、本人にとって【人】は、真面目に取り組むものであり、無意識に目の前にいる人に意識がいくといったものになっていたのだと思います。【狸】と称されたのも人たらしだったのでしょうね。運くーき的に見ると、亡くなる直前の三か月前の上弦の月で随分とすいじゃくしたのではないかと思います。そして、12ハウスに進行図の太陽が入室すると同時に亡くなったのではないかと。この時は、権力者には間違いないでしょうが、将軍職は二代目の秀忠でした。【駿府の大御所】であったわけですから、蝕の影響はなかったのでしょう。

天下分け目の関ケ原の合戦は家康の出生図海王星と進行の太陽が合となった時で、彼が長年やー追い求めてきた【理想】が現実的になった時でもあります。ソーラーアーク土星が8ハウスに在室していたことからの勝利でありますが、勝利というか、平和の時代への最終調整に行った歳でもあります。

様麻座間な観点から、家康の信念は何が正しいのかということですが、現在を考えると、その数年前には同じ日本国民同士や身内までも殺し合う世界だったわけですから、平和を追求するためには、絶対的な君主が必要で、信長の思いや秀吉の思いを紡いで統一したわけで、わたしには、私利私欲だとは到底思えません。

月やぎ座の生真面目さが安心な日本を作ってくれたと思うと、日本人としての文化である【勤勉】であることし大和魂に通じることだとシミジミ感じた次第です。

戦国武将シリーズ、またやりたいと思います。戦国武将のレクティファイなんて物好きですよね(笑)

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