そもそも、スピリチュアルってうさん臭いもの。

うさん臭さはどこから来るのか

正直に言います。占いもスピリチュアルも、うさん臭いのです。はい、私自身もその一員であり「プンプン匂う」立場の人間です。そもそも「魂」「霊」といった言葉を乱発すればするほど、世間は「怪しい」と感じるものです。

理由は簡単で、見える見えないの話だからです。霊感や直感といった類のものは誰にでも備わっていますが、説明できないがゆえに胡散臭く映るのです。さらに、派手な言葉や雰囲気で飾れば飾るほど、現実から浮いてしまう。だからこそ「暗い雰囲気」と「不透明さ」が増幅していくのです。


わたしも臭う側の人間

わたしもご多分に漏れず、うさん臭い存在です。ですが、だからこそ断言できることがあります。誰かがつらい時に、たとえ「うさん臭い話」であっても笑顔になれるなら意味があるのです。救いになるなら、その瞬間だけでも心が軽くなるなら、それは決して無駄ではありません。

私自身は感知型であり、望まずとも色々と受け取ってしまう体質です。念も受け取るし、自分でも無意識に発していることもある。だから「送られている」と感じる人は、往々にして自分も同じように念を送っているものです。本来、そういうものを感じない人は送ることもない。被害者意識をこじらせて「自分だけが受けている」と思い込むのは、大きな誤解だと思っています。


スピリチュアルとお金の話

ここで大事なことを言います。スピリチュアルに「お金を払って能力を買う」という発想、それは嘘です。感性は本来すべての人に備わっていて、誰かから高額で伝授されるものではありません。まして短期間で会得できるものでもない。本当の修行は何十年もかかるのです。

もちろん、講座や勉強会に参加すること自体は悪ではありません。しかし「これさえ受ければ開眼できる」という売り文句に乗ってしまうのは危険です。占いとスピリチュアルは混同せず、別物として捉えたほうが良いでしょう。


陰陽師ブームと偽物の話

最近は「陰陽師」という言葉もよく耳にします。しかし本来、陰陽師とは暦を扱う人であり、安倍晴明の子孫しか正式にはなれないと言われています。そうなると現代に名乗っている陰陽師は、すべて偽物という理屈になります。

先日亡くなられた石田千尋氏もそうですが、血筋から考えればやはり本物ではなかったということです。しかし、それでも彼に信頼を寄せた人がいるのも事実です。結局は自己責任で誰を信じるかを決めるほかないのです。


占い師も「自称」で始められる

これは占い師の世界でも同じです。極論すれば、今日から誰でも占い師を名乗れます。カウンセラーも同様で、特に民間資格は紙切れと同じです。本当に必要とされるカウンセラーは臨床心理士など、厳しい訓練と経験を積み、生活基盤が保証される立場の人たちです。心屋系など、看板だけで人を救えるほど簡単な話ではありません。

自称スピリチュアルリーダー、自称占い師、自称カウンセラー。気を付けるべきは「自称」という看板に隠れた軽さです。


講座で見えた「運命の重さ」

話は変わりますが、先日行った講座では亡くなったエリザベス女王の生涯を題材に検証しました。やはり偉大な存在は運命に翻弄される時期が明確に表示されています。

安倍元首相もそうでした。彼は出生の太陽と経過の冥王星が120度の吉角を形成していた時期に暗殺されています。吉角でさえ、その力が「生死」を揺るがす出来事に作用することがあるのです。宿命と運命、両方の力が交差するとき、強い人ほど大惑星の影響を色濃く受けるのです。


生死を口にすることの難しさ

「人の生死を扱ってはいけない」と言われます。確かに軽々しく語るべきではありません。しかし同時に、現実を前に備えを持ちたいと願う人もいます。わたし自身、自分の寿命は占っています。それは悲観のためではなく、現実的に準備を進めるため。死を意識することで、むしろ今を生きることに真剣になれるのです。

占い師としての定めは「悪戯に口にしない」ことです。ですが、向き合う人には真摯に伝える責任があると考えています。


結論 本物は表に出ない

最後に、わたしが信じていることを述べます。
本物は表に出ません。静かに、目立たず、修行を続けています。

だからこそ、スピリチュアルの世界において「スピスピ」と軽やかにアピールしている人ほど、うさん臭く感じるのです。本物は黙して語らず、偽物ほど大声で宣伝する。これは古今東西共通の真理でしょう。

わたしもまた、自称の一人であることを自覚しています。それでも、毎日死ぬほど勉強し、ホロスコープを通じて人を見つめ続けています。元気に、明るく、時に毒を吐きながら。それがわたしのやり方です。

 

タイトルとURLをコピーしました