火星が語った刹那。競輪界のレジェンドを襲った小さな油

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何故、事故は起きたのか

2026年7月18日、三重県の松阪競輪場。S級決勝の最終周回、最後方から追い込みをかけていた伏見俊昭選手は、前方で発生した落車を避けようとバンク外側の金網に激突しました。翌19日午前10時15分、頸髄損傷のため、50年の生涯を静かに閉じられました。競輪というスポーツにおいて、レース中の死亡事故はこれで51件目。尊い命が、またひとつ失われてしまったのです。

昨今、自転車に関する罰則が強化されたというニュースを目にする機会が増えました。わたしたちが日常の足として何気なく使っている自転車も、法律の上では紛れもなく「乗り物」であるということを、改めて突きつけられる出来事でした。まして、競輪という競技で使われる自転車は、時速70キロ近くにも達するといわれる、極限まで研ぎ澄まされた道具です。どのスポーツにおいても、選手には体力はもちろんのこと、心理的な駆け引きが要求されます。身体を鍛え上げながら、常に心の在り方にも気を配り続けるということは、想像を絶する仕事です。

競輪という競技は、女性であるわたしにとって、決して身近なスポーツではありません。少なくとも、わたし自身は生でその熱狂を見たことがないスポーツです。バンクの上を選手たちが編隊を組みながら猛スピードで駆け抜け、最終周回で一斉に飛び出していくあの光景は、テレビの画面越しに見るだけでも、独特の緊張感と興奮を伝えてきます。それでも、中野浩一選手のように記憶に残る名前はいくつかありますし、今回、レッスン生のお一人が競輪の世界に大変お詳しく、その方との縁もあって、この痛ましい事故がなぜ起きてしまったのかを、星の配置から考察してみたいと思うに至りました。

伏見選手は、1995年のデビュー以来、通算5度のG1制覇、KEIRINグランプリを2度制し、2004年のアテネオリンピックではチームスプリントで銀メダルを獲得した、まさに競輪界のレジェンドでした。50歳という年齢まで、あの激しい肉体と神経をすり減らす競技を第一線で続けるということは、並大抵の精神力では成し得ません。落車の2日前にも単騎まくりで優勝を飾るなど、脚力の健在ぶりを示しておられました。それでも、彼はこの日、帰らぬ人となってしまったのです。それでも彼が、この激しい競技を長年現役として走り続けてこられた背景には、並外れた精神的なタフさがあったことは間違いありません。その強さの源泉を、星の配置から辿ってみたいと思います。

水瓶座の太陽と、魚座の月が担う心理戦

出生時間が明らかではないため断定はできませんが、伏見選手の太陽は水瓶座に位置していました。未来志向で、独自のスタイルを切り拓いていく力を持つサインです。仮に月を魚座と仮定すると、競輪という競技に不可欠な、目に見えない心理的な駆け引きの部分は、この月魚座が担っていたのではないかと考えられます。魚座の月は、相手の呼吸や間合いを直感的に読み取る、極めて繊細な感受性を持つ配置です。数センチの車間、コンマ何秒かの判断が生死を分けるあの競技の世界で、彼が長年にわたり第一線であり続けられた背景には、この直感的な感受性があったのかもしれません。徹底先行というスタイルから、ベテランになるにつれて追い込みへと転じていったのも、相手の動きを読み、間合いを計るという魚座の月の資質が、経験とともにより研ぎ澄まされていった結果だったのではないでしょうか。

一方で、水星と金星は山羊座に位置しています。山羊座の水星と金星は、常に現実的な結果、すなわち勝利そのものに価値を見出す配置です。伏見選手が徹底先行というリスクの高いスタイルから、ベテランになってからは追い込みへとスタイルを変え、それでも勝利への執念を失わなかったのは、この山羊座の水星と金星が示す、地に足のついた勝利への渇望そのものだったのでしょう。山羊座は、老いてなお衰えることのない現実的な野心と忍耐力を示すサインでもあります。50歳という年齢に至ってもなお、日本選手権のようなG1最高峰の舞台に挑み続けたその姿勢こそ、この山羊座水星と金星が支え続けてきたものだったのだとわたしは考えています。

火星双子座が示す、競輪という舞台そのもの

そして、火星は双子座に位置しています。双子座は身近な場所や、短い距離の移動、瞬時の判断力を意味するサインです。競輪という競技そのものが、まさにこの双子座火星の体現であったとわたしは感じています。バンクという限られた円環の中で、瞬時の判断と身のこなしを積み重ねていく。伏見選手にとって競輪とは、最も刺激的で、最も自分自身を表現できる舞台だったのでしょう。双子座の火星を持つ人は、単調な繰り返しの中にこそ活力を見出す傾向があります。同じバンクを何百周、何千周と回り続けるという競輪という競技の構造そのものが、彼にとっては決して退屈なものではなく、その都度違う駆け引きと判断が求められる、飽きることのない知的なゲームだったのかもしれません。

競輪の世界で名前を知られる選手といえば、わたしのような門外漢でも、中野浩一選手のお名前はすぐに思い浮かびます。世界選手権を10連覇するという、他競技では類を見ない偉業を成し遂げた伝説の選手です。伏見選手もまた、そうした偉大な先人たちが切り拓いてきた道の上で、自らのスタイルを確立し、後進に多くのものを残してこられたのだろうと思います。福島県白河市の実業高校に自転車競技部の部室を寄贈するなど、若い世代への支援も惜しまなかったという伏見選手の姿勢からは、単なる勝負師としてだけではなく、競輪という文化そのものを次の世代へと繋いでいこうとする、大きな志が感じられます。

51件という重み、競輪という競技のリスク

競輪が公営競技として始まったのは1948年のことです。以来、実に70年以上にわたって、多くの選手たちが命を懸けてバンクを駆け抜けてきました。今回の伏見選手の事故で51件目となる死亡事故という数字は、決して軽く扱ってよいものではありません。バンクという限られた円環の中で、時速70キロ近くにも達する自転車が、車間わずか数十センチという至近距離でひしめき合う。その過酷さは、他のどのスポーツとも一線を画すものです。

近年、自転車に関する交通ルールの罰則が強化されたというニュースが度々報じられるようになりました。わたしたちが日常的に使う自転車もまた、法律上は紛れもなく「乗り物」であるという事実を、社会全体が改めて認識し始めている証拠なのでしょう。まして、競輪選手たちが操るあの競技用自転車は、ブレーキすら備えていない、極限まで研ぎ澄まされた道具です。その道具を駆使し、瞬時の判断力と鍛え抜かれた肉体、そして揺るぎない精神力を武器に戦い続けるということが、どれほど過酷な仕事であるかは、想像に難くありません。

伏見選手が50歳という年齢まで、この激しい競技を第一線で走り続けてこられたのは、単なる身体能力の高さだけによるものではないはずです。長年の経験によって培われた駆け引きの技術、そして何より、勝利への尽きることのない渇望があったからこそ、あの舞台に立ち続けることができたのでしょう。だからこそ、この事故が起きてしまったことが、なおのこと惜しまれてなりません。

亡くなった日のチャートと、火星リターン目前という符合

亡くなった当日のチャートを精査していく中で、伏見選手の火星に、極めて重要な符合があることに気づきました。あと数日過ぎていれば、実に久しぶりとなる火星リターンを迎えるところだったのです。火星は約2年弱の周期で黄道を一周し、出生時と同じ位置へと還ってきます。天体がネイタルチャートの度数へと回帰するとき、その天体は良い意味でも悪い意味でも強く刺激されます。この火星リターンの前後は、それまでの約2年間にわたって積み重ねてきた行動や闘争のエネルギーが、一つの集大成として表面化しやすい時期とされています。まさにその火星リターンを目前に控えたこの日、トランジットの太陽と、トランジットの火星、トランジットの土星が、伏見選手のネイタルの太陽との間で小三角形(メディエーション)を形成していました。

既に亡くなられている以上、軽々しい憶測は慎まねばなりません。それでも、あえて占星術師としての率直な感覚を申し上げるならば、彼はほんの少しだけ、気を緩めていたのではないかとも感じています。それも無理からぬことです。国内外で数々の栄冠を手にしてきたベテランにとって、この日のレースは決して未知の難関ではなかったはずです。しかし、競輪とは、それほどまでに一瞬の判断がすべてを決める、激しいスポーツです。ほんのわずかな油断が、このような取り返しのつかない結果を招いてしまったのだとしたら、あまりにも惜しく、悔やまれてなりません。

ここで少し、小三角形(メディエーション)という配置について触れておきたいと思います。これは、三つの天体が互いに120度と60度の角度で結びつき、緩やかな三角形を描くアスペクトのことです。メジャーな大三角形(グランドトライン)ほど強力ではありませんが、それでも関わる天体同士のエネルギーが調和的に、かつスムーズに流れてしまうという特徴を持っています。緊張感のあるスクエアやオポジションとは異なり、この配置は当人に「大丈夫だ」という感覚を無意識のうちにもたらしやすいのです。太陽と火星、土星という組み合わせでこの小三角形が形成されていたということは、まさにその日、伏見選手の中に、ある種の安心感や落ち着きが生まれていた可能性を示唆しています。それが結果としてどう作用したのかは、誰にも分かりません。しかし、調和的な配置だからこそ生まれる、ほんのわずかな緩みというものが、確かに存在するのだとわたしは感じています。

この火星リターンという配置そのものが、ひょっとすると彼自身への一種の予兆、自己への暗示のようなものだったのかもしれません。遡って、前回の火星リターンを確認してみると、それは2ハウスでの回帰であり、そこにデトリメント(品位を損なった状態)の木星が合を形成していました。2ハウスは自身の資産や身体的な資源を司る部屋であり、そこに品位を損なった木星が絡むということは、拡大や恩恵のはずの木星の働きが、素直な形では発揮されにくい状態にあったことを示唆しています。木星は本来、物事を大きく、豊かにする吉星ですが、デトリメントという弱い品位に置かれると、その拡大の力がかえって過信や楽観へと転じてしまうことがあります。ネイタルの火星とトランジットのASCはセクスタイルの関係にあり、シナストリー的な観点で確認すると、自分自身を示す1ハウスでの合となっています。1ハウスでの火星の合は、本人の意志や行動力そのものが強く刺激される配置であり、伏見選手にとってこの約2年間は、まさに自らの闘争心と正面から向き合い続けた期間だったのではないでしょうか。あと数日で、この約2年間続いた火星の運気が新しい局面へと切り替わろうとしていた、まさにその手前での出来事でした。悔やんでも悔やみきれません。

火星という天体が持つ、もう一つの顔

モダン占星術において、火星は「やる気」「情熱」「怒り」を象徴する、行動力の源泉として扱われます。競技や勝負事において、この火星のエネルギーは欠かせないものであり、伏見選手のように長年にわたり闘争心を燃やし続けてきた選手にとって、火星はまさに人生の原動力そのものだったはずです。現代の占星術書の多くは、火星をポジティブに、自己主張や達成意欲の象徴として説明します。確かに、目標に向かって突き進む推進力や、逆境をはねのける瞬発力は、火星なくしては語れません。

しかし、古典占星術における火星は、紛れもなく凶星のひとつです。切創や事故、争いといった、突発的で不可逆な出来事と深く結びついた天体なのです。ヘレニズム期やルネサンス期の占星術師たちは、火星を「小凶星」として位置づけ、鋭利なもの、熱、炎、そして流血を伴う出来事の象徴として扱ってきました。現代の占星術がその行動力や情熱という側面ばかりに光を当てがちであるのに対し、古典占星術はその裏に潜む危うさを決して見逃しませんでした。伏見選手のホロスコープにおいて、この火星が競輪という舞台そのものを象徴し、同時に人生における最大のリスクをも内包していたということは、光と影が一つの天体に同居していたことを意味します。それは、彼が生涯を懸けて向き合ってきた競輪という競技そのものの本質を、そのまま映し出しているようにも思えます。

もう1人のレジェントの死

そして、この一件から数日後、評論家の山田五郎さんが67歳で亡くなられたという訃報が届きました。1958年12月5日生まれの山田さんは、太陽、水星、金星、そして土星までもが射手座に集中する、極めて射手座色の濃いチャートの持ち主でした。射手座は探求心と拡張の精神を司るサインであり、西洋美術から時計、街づくりに至るまで、生涯にわたって尽きることのない好奇心を持ち続け、幅広い分野で知性を発揮し続けたあの姿は、まさにこの射手座の集中配置そのものだったのだろうとわたしは感じています。

山田さんが亡くなられた後、新しい動画がYouTubeチャンネルに公開されました。その最後の映像に映っていたのは、酸素のチューブをつけた姿でした。ここで見過ごせないのは、彼の死因が原発不明がんであったという事実です。しかし遡れば、2011年には初期の食道がんを患い、手術を受けておられました。長きにわたる闘病の歴史があった上での、最期の別れだったのです。

そして、山田さんの火星は牡牛座に位置していました。最初の食道ガンが発覚する少し前であり、牡牛座は喉や食道などを示します。この火星がネイタルの位置へと還ってくる火星リターンから、わずか2か月ほど前のことだったのです。伏見選手のケースが火星リターンを目前に控えていたのに対し、山田さんのケースは火星リターンを終えたばかりのタイミングでの出来事でした。これは、火星という天体が刺激を及ぼす期間が、リターンの前後にわたって、決して短くはない幅を持っているということを示しているのかもしれません。立て続けに、火星がアクシデントや身体的な危機の証を示すチャートに触れることとなり、占星術師として、今後はより一層丁寧にリーディングを重ねていく必要性を痛感しています。火星という天体は、わたしたちに行動する勇気と情熱を与えてくれる一方で、その扱い方を誤れば、あるいはその巡りに油断してしまえば、取り返しのつかない結果をもたらすこともある。そのことを、今回の一連の出来事は、静かに、しかし重く教えてくれているように思います。

星が教えてくれること、そして今後への戒め

競輪というスポーツに馴染みの薄いわたしにとって、伏見選手のお名前を知ったのは、レッスン生さんとの会話がきっかけでした。それでも、50年という人生をかけて、一つの競技にここまで真摯に向き合い続けた方の生涯を、星という言葉を通して振り返ることができたのは、占星術に携わる者としてとても貴重な機会でした。

今回、伏見選手のチャートと、数日後に訃報が届いた山田五郎さんのチャートを続けて確認する中で、わたしの中には一つの強い戒めが生まれました。それは、火星という天体を扱う際には、これまで以上に慎重さを持って向き合わなければならないということです。火星は、わたしたちに挑戦する勇気、行動する情熱、そして生きるための闘争心を与えてくれる、かけがえのない天体です。しかしその一方で、扱いを誤れば、あるいはその巡りに油断してしまえば、取り返しのつかない結果をもたらすこともある。光と影を併せ持つこの天体の本質を、改めて深く胸に刻む出来事となりました。

占星術という学問は、未来を断定するための道具ではありません。しかし、こうして起きてしまった出来事を丁寧に振り返り、そこに刻まれた星の配置を静かに読み解いていくことで、わたしたちは天体が持つ本当の意味を、より深く理解することができるのだと思います。それは、亡くなられた方々への追悼であると同時に、これから先を生きるわたしたち自身への、静かな戒めでもあるのでしょう。競技を続けるすべての選手たちが、この痛ましい事故から何かを学び、少しでも安全な形で自らの情熱を燃やし続けられることを、一人の占星術師として、心から願わずにはいられません。

50年という短くも濃密な人生の中で、伏見俊昭選手は数え切れないほどの人々に勇気と興奮を与え続けてこられました。その最後の瞬間まで、彼はバンクの上で戦い続けていました。競輪という激しい世界に生涯を捧げた一人の男性の生き様に、心からの敬意を表したいと思います。伏見俊昭選手、そして山田五郎さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

合掌。

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