権力者に蝕は有効か 其の二

どもーパリピーポーおばさん占い師まあさです。

442年ぶりの惑星蝕はどんな環境だったのか・・・興味がそそられてしまい、早速日本の三傑を占いました。最後は、徳川家康です。

彼は、史実に記録が残っていて比較的、検証しやすいのですが、【山岡荘八氏】の超大作(全巻26冊)には、生母である於大の方【伝通院】が百度参りをして出産なさったと記されています。於大の方の生家の水野家と親分である今川家の仲が悪くなり。離縁されます。

そして、今川家に僅か3歳で人質に。波乱の人生の幕開けです。晩年の家康は、【狸】と評されることがありましたが、若い時は血気盛ん。そりゃ、火星おひつじ座ですからね。また、違うエピソードでは、【後家】を好んでいたとか。これは、色々な見解がありますが、金星がみずがめ座ですから、【血】に拘らず後家を側室にしてその子どももしっかりと養育していたのでしょう。みずがめ座ってこういうことなんですよ。変人とか、簡単に括らないでほしいですな。

家康が亡くなった時、直前に進行の太陽が12ハウスに在室して、一か月半前にしし座上弦の月でした。進行の太陽とTスクエアを形成し、出生の木星で不動級のグランドクロスを形成していました。

蝕は、関係はなかったですね。この当時二代目将軍である秀忠氏が政治の中心でしょうから、権力者ではありますが、トップではなかったとも読めます。勿論、駿府の大御所でしたから、権力は握っていましたが・・・セカンダリーの月が4ハウスにあり、出生の天王星と合でしたので、彼の命は消えても、それから続く15代徳川家の未来は、安泰だったのでしょう。

亡くなっても、ホロスコープで、生き続ける影響。更に研究を続けたいと思います。

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