2024年6月20日、TOKIOの国分太一が「コンプライアンス違反」により無期限の活動休止を発表した。直後の6月22日、松岡昌宏がパーソナリティを務めるラジオ番組「彩り埼先端」(NACK5)では、録音済みであることを前提にしつつも、国分の名前が繰り返し語られた。そこにあったのは一切の動揺や否定ではなく、むしろ「戦友」という言葉に象徴されるような揺るがぬ信頼と祈りのようなものだった。
松岡は冒頭、女優・板谷由夏の50歳の誕生日を祝福し、彼女が今月2日に所属事務所を離れて独立したことに言及した。「同志であり、戦友。国分さんがよく言うんだけど、お前は戦友だって俺によく言うんだけど、その言葉を借りるんだったら、そうだな、板谷も戦友だな」。この発言の中に、松岡の価値観が凝縮されている。「戦友」という言葉は、彼にとって単なる比喩ではない。共に人生の戦場を歩む覚悟の共有、それが「戦友」という言葉に託されているのだ。
占星術の観点から松岡昌宏を見てみると、象徴的なのはカイロンとアセンダントの合。これは医療関係者にしばしば見られる配置であり、「癒し手」「内なる傷を他者への理解に変える者」としての資質を示している。過去の困難や痛みを自己鍛錬の糧とし、周囲を支える力へと昇華させる存在。国分や仲間たちが困難に見舞われたとき、彼が表に出て怒りや悲しみではなく静かな励ましを示す背景には、このカイロンの作用が透けて見える。
さらに注目したいのが彼の7ハウスにある天王星とジュノー、そしてそれに対向する木星の配置だ。天王星は突発的変化や自由を、ジュノーは関係性と契約を象徴し、それが対極の木星によって拡張される。これは、対人関係においても「自由と信頼の両立」が可能であることを意味する。言い換えれば、松岡はたとえ相手が離れた場所にいようとも、その絆や信頼を揺るがせることなく保ち続ける稀有な存在だということだ。今回のような不祥事の中にあっても、彼が国分の名前を自然に出せたのは、こうした関係性の構造が裏打ちされているからだ。
また、5ハウスに土星があることも興味深い。この配置は「快楽に対する抑制」を象徴する。芸能の分野で名を馳せながらも、スキャンダルに無縁であり続けてきた松岡。若き日の反抗期を経て、地に足をつけた堅実な振る舞いを継続する姿勢。それは単なる性格ではなく、星の配置が彼に与えた「運命的な責任」でもある。人前に出ること、言葉を発すること、そのすべてに誠実さが滲むのは、この土星の働きによるものだ。
松岡の太陽は山羊座にある。社会性、責任感、現実志向を象徴するこのサインに太陽を持つ彼は、まさに地に足の着いた人物像を体現している。対する国分太一もまた同じく山羊座太陽。つまり、同じ地のサインを持ち、目的意識や仕事に対する姿勢において強く共鳴し合ってきた関係なのだ。グループとしての役割分担においても、社会性を重んじる山羊座の資質は、TOKIOというプロジェクト全体を通じて安定性と信頼を築いてきた大きな要素である。
松岡の発言の中には、「俺も株式会社TOKIOを立ち上げる時に覚悟が必要だった。でも俺には国分太一、城島茂がいたからできた」という一節があった。そこにこそ、彼がいかに個”ではなく関係性”に支えられて歩んできたかが現れている。そしてその姿勢は、今も変わっていない。例え仲間が不祥事で道を外れても、その人間関係そのものを切り捨てるのではなく、過去の信頼を今も大切にし続ける姿がある。
これは「共犯関係」ではなく「共感関係」だ。人は皆、弱さを持ち、過ちも犯す。そのときに見捨てるのではなく、過去の良き部分を忘れずに思い出し、静かにその人の復活を願う姿勢。これが、松岡昌宏という人物の真の品格なのだ。
社会的な波風が吹き荒れるなかで、こうした姿勢はしばしば誤解される。「かばっているのでは」と受け止められることもあるだろう。しかし、これはかばうのではない。信じたものを最後まで信じ抜くという覚悟の形なのである。
占星術で言えば、松岡と国分がともに山羊座太陽である以上、互いにリターンチャートのタイミングが近い。人生の節目、運命の回帰点は、互いに影響し合う波のように訪れるだろう。彼らの間に流れるのは、時代に左右されない人間の信頼だ。それは、一度結ばれたら容易に解けるものではない。
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