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何が起きたのか
2026年9月28日、東京大学の総長選考・監察会議は、次期総長予定者に、大学院総合文化研究科の藤垣裕子教授を選出しました。東大史上初の女性総長となります。就任は2027年4月1日、任期は6年で、文部科学大臣の任命を経て、第32代総長に就く予定です。
歴史的な出来事のはずですが、世間の関心は、選ばれた方の経歴よりも、選ばれ方に集まっています。教職員による意向投票で1位だった候補者ではなく、2位だった候補者が選ばれたためです。意向投票で1位でない人が選ばれるのは、総長選挙の制度ができて以来初めてとみられ、戦後初とも報じられています。
わたしは、この問題を、女性が表舞台に立つということ、そして実力で評価されるということの二つの視点から、じっくり考えてみたいと思います。まず、報じられている事実を整理します。
意向投票の結果
今回の総長選考では、9名の第1次候補者から5名の第2次候補者が選ばれ、投票資格を持つ教職員による意向投票が9月28日に行われました。有資格者は2583人です。
第1回の投票では、染谷隆夫氏が818票、藤垣裕子氏が400票、山本隆司氏が377票、大越慎一氏が363票、菅野暁氏が152票でした。上位3名で行われた第2回の投票では、染谷氏が1107票、藤垣氏が553票、山本氏が451票となり、白票は58票、投票数は2169票でした。染谷氏の得票率は約51%、藤垣氏は約25%です。
染谷氏は過半数を獲得し、藤垣氏の得票は、ちょうどその半分でした。第1回、第2回のどちらでも、染谷氏が首位だったことになります。それでも、同じ日に開かれた総長選考・監察会議が選んだのは、藤垣氏でした。
選考会議の説明
総長選考・監察会議は、学内外の委員16人で構成されています。議長は国谷裕子氏です。東京大学は、選考にあたり、選考開始の際に公表した求められる総長像に照らして、各候補者の所信、委員による面接調査、学内構成員の意向投票の結果を含めて総合的に考慮し、慎重に協議した結果、藤垣氏を適任と判断したと説明しています。
国谷議長は記者会見で、意向投票はあくまで選考の資料の一つだと述べました。そのうえで、科学技術を社会に伝えるコミュニケーション力で学術への信頼を回復する意志と能力、文理融合や国際経験、そして壁を所与と考えない力を評価したと説明しています。
制度の面から見れば、意向投票は最終決定ではありません。国立大学法人法は、学長の選考を、学長選考・監察会議が行うと定めています。意向投票の結果をそのまま採用しなければならないという規定はなく、選考会議が総合的に判断すること自体は、制度の範囲内です。法的に問題があるという話ではないのです。
総長選考の仕組み
東京大学の総長選考は、2026年の夏から秋にかけて進められました。選考開始の公示のあと、9名の第1次候補者が決まり、8月中旬ごろに5名の第2次候補者が告示されました。9月28日には、第2次候補者への意向投票と、総長予定者の決定が、同じ日に行われる日程でした。
公開された議事録や会議資料からは、選考会議の裁量を広げる制度の見直しや、多様性の観点から候補者を追加できる手順が整えられていたことが読み取れるという分析もあります。制度が整えられていたからこそ、今回の判断が可能になったとも言えますが、同時に、その制度が、構成員の期待と合っていたのかという問いも残ります。
過去の総長選考では、意向投票で1位だった人が選ばれてきたとされています。今回、初めてその流れが崩れたことが、これほどの注目を集めている理由です。長く続いてきた慣行が、前触れもなく変わったと受け取られれば、戸惑いや反発が起きるのは、避けられないことでしょう。
説明責任が問われている
問題は、法的な正当性ではなく、納得できる説明がなされているかどうかです。意向投票で過半数を得た候補者を退け、その半分の票だった候補者を選んだ以上、なぜそうなったのかを、誰もが理解できる形で示す責任が、選考会議にはあります。
総合的に考慮したという説明は、制度上は正しくても、説明としては十分ではありません。何を、どの程度重く見て、候補者のどこを比較し、何が決め手になったのか。その比較の根拠が見えなければ、意向投票に参加した2169人の教職員は、自分の一票が何だったのかと感じてしまいます。意向投票が参考資料に過ぎないのであれば、なぜ2回にわたって投票を行ったのかという疑問も出てきます。
東京大学が公表している求められる総長像には、構成員の幅広い支持を受けることが挙げられているという指摘もあります。意向投票という制度は、この幅広い支持を確かめるためのものでしょう。確かめた結果を、判断にどう生かしたのかが、問われています。そうであれば、その結果と異なる判断を下すときには、より丁寧な説明が必要になります。
意向投票の意味
意向投票とは、構成員の声を聞くための仕組みです。聞くだけで、決めるのは選考会議、という制度設計には、一定の合理性があります。投票の人気だけで大学の長が決まれば、学内の事情に偏り、外から見た大学の課題が見落とされることもあるからです。
ですが、聞いた声は、判断に反映されなければ、聞いたことになりません。構成員の過半数が示した意思と、異なる結論を出すのであれば、その意思をどう受け止めたうえで、なぜ違う結論に至ったのかを、丁寧に示す必要があります。声を聞くことと、声に応えることは、別のことです。
票の数だけを見て判断することが正しいとは、わたしも思いません。ですが、票の数を軽く扱うことも、構成員の信頼を損ないます。意向投票と最終判断の間に生まれた距離を、どう埋めるのか。そこに、今回の選考会議の力量が問われています。
二人の経歴
ここで、二人の経歴を確認します。藤垣裕子氏は、東京大学教養学部を1985年に卒業し、1990年に総合文化研究科で博士号を取得されました。科学技術庁科学技術政策研究所などを経て、2010年から総合文化研究科の教授を務めています。専門は科学技術社会論と科学計量学です。2021年から2025年までは、理事・副学長として、学生支援、入試・高大接続、評価、研究倫理を担当されました。大学運営の経験も、研究者としての実績も、お持ちの方です。
染谷隆夫氏は、工学系研究科の教授で、副学長を務めています。有機エレクトロニクスの分野を一貫して研究し、薄くて柔らかく、伸縮するエレクトロニクスの開発で知られています。2012年に世界最薄・最軽量の有機太陽電池、2013年に世界最薄・最軽量の有機トランジスタの開発に成功し、国のプロジェクトの責任者も務めました。2025年には、世界で最も多く引用されている論文の著者として選ばれる、高被引用論文著者にも選出されています。
研究の分野が違いますから、論文の数や引用の数を単純に並べて比べることはできません。理系と文系では、論文を書く習慣も、引用される仕組みも違うからです。それでも、世界的な研究実績という一つの物差しを当てれば、染谷氏が突出していることは、誰の目にも明らかです。東京大学という、日本の頭脳の象徴のような場所の長を選ぶときに、その物差しが重く見られると考える人が多いのは、自然なことだと思います。
もちろん、総長に求められる資質は、研究実績だけではありません。大学をどう運営し、社会とどう向き合い、学内をどう束ねるか。選考会議が重視した、コミュニケーション力や、文理融合という観点にも、一定の理があります。ですが、その観点でどちらが上回ると判断したのかを、示す必要があるのです。
総長に求められる資質
東京大学の総長は、研究者でもあり、大学という大きな組織の経営者でもあります。研究の最前線を知る人でなければ、学内の研究者の信頼を得ることは難しいでしょう。同時に、予算を確保し、国際的な競争の中で大学の地位を守る運営の力も必要です。
さらに、社会に向けて、大学の価値を語る力も欠かせません。研究の成果を、社会がどう受け止めるのか。税金で運営される国立大学として、どう説明するのか。選考会議が、コミュニケーション力を重視したのは、そうした背景があるからでしょう。
学内では、研究者としての実績が、総長への信頼の土台になるという感覚が、強くあります。一方で、社会との対話や、大学運営の経験を重視する立場にも、理があります。どちらの資質を、どれだけ重く見るのか。その優先順位こそが、今回の選考で、最も説明されるべき点だと思います。
賛否の整理
ここまでの論点を、賛否の両面から整理しておきます。
選考会議の判断を支持する立場は、次のように考えます。意向投票は資料の一つにすぎず、制度上、最終判断は選考会議にある。大学を取り巻く環境が厳しい今、社会との対話や文理融合、国際経験といった資質が重要で、選考会議はそれを重く見た。初の女性総長の誕生は、大学の多様性を示す意義がある。
選考会議の判断に疑問を示す立場は、次のように考えます。構成員の過半数が示した意思を退けるなら、納得できる比較の根拠が必要である。研究者の信頼を得ることは、総長の求心力に直結する。選び方が不透明であれば、選ばれた方への疑念も生まれてしまう。
どちらの立場にも理があります。ですから、争点は、どちらが正しいかではなく、判断の過程をどこまで開示するかにあります。開示が十分であれば、賛否は残っても、納得は広がります。開示が不十分なままでは、憶測だけが膨らんでいきます。
文部科学大臣の見解
この問題について、関文部科学大臣は、10月6日の記者会見で、選考会議が決定に至った過程や理由を、丁寧に説明することが重要だという趣旨の考えを示しました。学内の意向投票の結果と、選ばれた候補者との間に乖離があり、学内外から説明が不十分だという声が上がっていることを認識している、とも述べています。
国立大学法人の学長は、法人の申出に基づいて、文部科学大臣が任命する仕組みです。大臣が任命の可否を左右できる範囲は、制度上、限られています。申出に明らかな形式上の違法性がある場合や、客観的に明らかに不適切と認められる場合を除いて、基本的には、申出に基づいて任命されます。大学からの正式な申出は、もう少し先の時期になりますので、現在は、選考会議が学内外の疑問にどう応えていくのかを見守る段階だという認識です。
大臣は、選考の結果そのものについて、良い悪いを述べているわけではありません。説明責任を果たすことの重要性を、公の場で繰り返し述べていることは、この問題が、一大学の内輪の話にとどまらず、国全体で見守られていることを示しています。
会見の時刻と星の動き
文部科学大臣の記者会見は、慣例で、火曜日の午前10時から10時半ごろに始まるとされています。関大臣が説明責任の重要性を述べた10月6日は、火曜日でした。この時刻のトランジットを見ると、金星は蠍座8度台で逆行中でした。T水星は蠍座7度台にあり、金星との角度は約1度です。水星が金星に追いつく形で、翌7日の朝に合が正確に成立する、直前の状態でした。
個人のチャートでは、逆行をあまり重視しません。ですが、大臣という公人が、記者団の前で公式に発言する場面では、その瞬間のトランジットが影響力を持つと、わたしは考えています。公の場の言葉は、その時刻に生まれるからです。
金星は価値判断や評価を、水星は発言と言葉を表します。蠍座は、物事を深く内に抱え、軽々しく外へ出さないサインです。その蠍座で、金星が逆行し、水星がそこへ追いつく。言葉を発する前に、価値判断をいったん内側へ引き戻す形になります。選考の結果そのものの是非には踏み込まず、説明責任の重要性という、手続きの側面に言及を絞ったことは、この星の動きと重なって見えます。
関氏は、9月17日の内閣改造で初入閣し、文部科学大臣に就任したばかりでした。就任から3週間足らずという立場も、結果への評価を避け、手続きの説明に絞った一因だったかもしれません。
関大臣のチャート
関芳弘氏は、1965年6月7日生まれで、生年月日が公表されています。出生時刻は公表されていないため、誤差を含みますが、N水星とT土星が、2度以内の近いセクスタイルを形成しています。水星は思考と言葉を、土星は責任と慎重さを表します。この二つが調和的な角度で結ばれることは、熟考したうえで判断を下す姿勢を示します。
拙速に結論を述べず、段階を踏み、根拠を確かめてから言葉にする。今回の、選考の過程と理由を丁寧に説明することが重要だという、慎重な見解は、この読みと一致します。
外部からの声
この選考に疑問を呈する声は、大学の外からも上がっています。東大法学部の卒業生で、元検察官、元衆議院議員の弁護士、山尾志桜里氏は、Xに長文を投稿し、学内投票で過半数を得た候補者を退け、その半分の票だった藤垣氏を選んだことに疑問を投げかけたと報じられています。経産官僚出身の衆議院議員、門ひろこ氏は、ダブルスコアでの結果を受けて、大学の自治とは何かと問いかけました。元経済再生担当相の甘利明氏も、ダブルスコアで勝った候補者を外すなら、何のための投票なのかという趣旨の疑問を示しています。
インターネット上でも、何のための投票なのか、説明すべきだという声が相次ぎました。選考会議議長の記者会見のやり取りが話題になるなど、関心は大きく広がっています。ここで大切なのは、疑問を呈しているのが、選ばれた藤垣氏その人の能力を否定する人ばかりではないという点です。選び方の過程が見えないことへの疑問が、多くの声の中心にあります。疑問の声を、単なる批判として退けるのではなく、制度をより良くするための意見として受け止めることが、大学にも、社会にも求められています。
山尾志桜里氏の発言とチャート
山尾志桜里氏は、1974年7月24日生まれです。N土星は蟹座11度にあり、選考結果が出た9月末から10月初めのT土星は、牡羊座11度にあります。この二つは、ほぼ正確なスクエアです。土星のスクエアは、責任を問われる局面で、立場を引き受けて、重みのある発言をする時期と読みます。軽い思いつきではなく、ご自身の立場と責任に基づいた発言だったことが、星からも読み取れます。
わたしは、山尾氏の指摘を、筋の通ったものと受け止めています。その根には、枠で選ばれたと受け取られれば、女性の地位がかえって下がりかねないという危機感と、東大のOGとしての誇りがあったのではないかと、わたしは推測します。実力のある女性が、実力のまま評価される環境を守りたい。そう考えたのだとすれば、わたしの考えとも重なります。
学内に残るもの
選考結果が出たあとも、東京大学の教職員は、これまでと同じように、日々の教育と研究に向き合っています。意向投票で染谷氏を支持した人も、藤垣氏を支持した人も、これから同じ大学で、同じ総長のもとで働いていくことになります。
大学という組織は、構成員の協力がなければ動きません。選考をめぐる疑問や不満が残ったままでは、新しい総長のもとで、一枚岩になることは難しくなります。だからこそ、就任までの期間に、選考会議と大学が、誠実に説明を重ねることが重要です。
また、染谷氏の側にも、副学長として大学を支えてきた立場があります。今回の結果をどう受け止め、これからどう大学に貢献していくのか。その姿勢もまた、学内の信頼を左右することになるでしょう。
大学の自治と学長選考
大学の自治とは、大学の運営や人事を、外部からの干渉を受けずに、大学自身が決めるという考え方です。学長の選考に、教職員が関わってきたのも、この自治の考え方に基づいています。
国立大学が法人化されてからは、学長選考会議が学長を選ぶ仕組みになりました。さらに、2014年の学校教育法の改正などを経て、学長のリーダーシップを強める方向で、大学のガバナンス改革が進められてきました。教職員の意向を聞く投票は、多くの大学で行われていますが、法的な拘束力はありません。
この流れの中で、今回の東大の選考は、自治の理念と、ガバナンス改革の流れが、正面からぶつかった事例とも言えます。構成員の声を尊重するのか、選考会議の判断を優先するのか。どちらの考え方にも、それぞれの正しさがあります。だからこそ、判断の過程を、透明にする必要があるのです。
背景をめぐる見方
選考の背景をめぐっては、さまざまな見方が語られています。初の女性総長を実現するという方針が先にあったのではないか、いわゆる事実上の女子枠が働いたのではないかという声が、インターネット上で多く見られます。選考会議は多様性の観点を重視したと説明している資料もあり、これが、そうした見方に繋がっているのでしょう。
一方で、一部の論説では、候補者に関連する法人のガバナンスをめぐる問題が、背景にあるのではないかとの見方も示されています。ですが、選考会議はそれを理由として説明しておらず、事実として確認されたものではありません。推測と事実は、分けて考える必要があります。
わたし自身は、こうした背景を断定的に語ることは控えます。確かなことは、説明が十分に尽くされていないために、さまざまな憶測が広がっているという事実です。憶測が広がること自体が、選考会議にとっても、選ばれた藤垣氏にとっても、不幸なことだと考えています。説明を尽くすことは、憶測を静める、最も確かな方法です。隠さず、飾らず、事実を順に示すことが、疑念を和らげます。
日本の風潮と、変わり始めた景色
日本では長いあいだ、組織の頂点に立つ人は男性であることが、当たり前のように受け止められてきました。会議の席でも、意見を述べる女性は少なく、述べれば目立つと言われる空気がありました。その空気は、今も完全には消えていません。
ですが、景色は確かに変わり始めています。女性の首相が誕生し、東大に初の女性総長が誕生しようとしています。かつては考えられなかった出来事が、立て続けに起きているのです。この変化が、一時的な流行で終わるのか、社会に根づくのかは、これから表に立つ女性たちが、どう評価されていくかにかかっています。
女性の社会進出という視点
賛否両論はあるとして、わたし自身は、高市総理が就任なさったことで、日本の女性の社会進出が、ものすごいスピードで始まったと感じています。
世界を見渡せば、英国には、サッチャー元首相がいました。ドイツには、長く首相を務めたメルケル氏がいます。アメリカでは、ヒラリー・クリントン氏やカマラ・ハリス氏のように、女性の実力者が大統領候補として、何度も表舞台に立ってきました。女性が国の頂点を目指すことは、先進国では、とうに当たり前の時代になっています。
ところが日本には、女性たるもの、表にしゃしゃり出るなという風潮が、いまだに根強く残っています。そんな中、男社会の中でずっと努力を重ねてきた高市首相は、総理大臣になってからも、男性の懐に入り、気遣いを欠かしません。その姿は、わたしでさえ、よく分かります。実力のある女性は、いつか神輿に乗れるのです。
神輿に乗るというのは、担いでもらうということです。担ぐ人たちの納得がなければ、神輿は進みません。男性の懐に入り、気遣いをしながら、同時に、男に媚びることはしない。対立はなるべく避けながら、正々堂々と、まっすぐに見つめる。その姿勢が、周囲の信頼を生み、実力を認めさせます。
実力のある女性が神輿に乗るまで
実力のある女性が、神輿に乗るまでには、長い時間がかかります。若いうちは、実力があっても、扱いにくい存在として見られることがあります。意見を言えば、生意気だと言われ、黙っていれば、何も考えていないと言われます。その中で、感情的にならず、淡々と結果を積み上げてきた女性だけが、少しずつ信頼を得ていきます。
高市首相の歩みも、その道のりを示しているように、わたしには見えます。男性が多数を占める世界で、長い年月をかけて、結果を出し続けてきました。注目されても、批判されても、対立を煽ることなく、自分の役割を果たす。その積み重ねが、国の頂点という立場に繋がったのだと思います。
神輿は、担ぐ人がいて初めて動きます。担ぐ人に、この女性になら任せられると思わせることが、実力のある女性の最後の仕事です。実力だけでは、神輿には乗れません。実力を、周囲に納得してもらう力が、あわせて必要になります。
女子枠についての私見
だからこそ、わたしは、女性を枠で選ぶという考え方には、慎重でありたいと思っています。もし、性別が理由の一つとして選考に働いたのであれば、それは、選ばれた女性にとって、大きな不利益になります。どれほど実力があっても、枠で選ばれたのではないかと、疑いの目で見られ続けることになるからです。
実力で選ばれた女性は、堂々としていられます。誰かに疑われても、結果で示せます。選ばれた理由が明確であれば、批判を受けても、ぶれません。ですが、枠で選ばれたと受け取られてしまえば、実力を示す前から、疑いを背負うことになります。これは、女性の社会進出にとっても、望ましいことではありません。枠への疑いが残る限り、後に続く女性たちの実力まで、疑われかねないのです。女性を本当に応援するのであれば、実力のある女性が、実力のまま評価される環境を整えることが、先だと思います。
もちろん、今回の選考で、実際に性別が理由だったのかどうかは、確かめられていません。藤垣氏が、実力のある方であることも、前に述べたとおりです。だからこそ、選考会議には、藤垣氏の実力が正当に評価されたということを、誰もが納得できる形で示してほしいのです。それが、藤垣氏ご自身を守ることにもなります。
世界の大学と女性のリーダー
世界の大学に目を向けると、女性が大学の長を務めることは、珍しいことではなくなっています。ハーバード大学では、2007年に、初の女性学長としてドリュー・ファウスト氏が就任しました。英国のケンブリッジ大学では、2003年にアリソン・リチャード氏が、オックスフォード大学では、2016年にルイーズ・リチャードソン氏が、それぞれ初の女性副学長に就いています。
日本の大学では、女性の教員の割合が、長く低い水準にあると指摘されてきました。東京大学も例外ではありません。女性が総長になることの意義は、とても大きいものです。後に続く女性の研究者にとって、目に見える道が開かれたことになります。
だからこそ、その道が、誰もが納得できる形で開かれることが大切です。納得を得られないまま開かれた道は、後に続く人にとって、通りにくい道になってしまうかもしれません。
選考会議に求められること
選考会議には、今からでも、できることがあります。第一に、比較の根拠を、可能な範囲で具体的に示すことです。どの項目で、どの候補者を、どう評価したのか。個人の評価を伏せる必要があるのであれば、評価の基準と、重みづけの考え方だけでも、明らかにできるはずです。
第二に、意向投票の位置づけを、あらためて整理して示すことです。参考資料であるなら、その旨を事前に明確にし、今後の選考で同じ疑問が生じないよう、制度を見直す必要があります。第三に、学内の構成員との対話の場を設けることです。決定の理由を、直接伝える場があるだけで、受け止め方は大きく変わります。
初の女性総長に期待すること
藤垣氏は、これから、文部科学大臣の任命を経て、2027年4月に総長に就任します。就任までの半年は、その後の6年間の信頼を左右する、大切な期間になります。選考会議が評価したのは、科学技術を社会に伝えるコミュニケーション力でした。それならば、就任前から、学内の疑問や社会の声に、真摯に向き合う姿勢を示すことが、何よりの回答になります。
意向投票で染谷氏を支持した1107人の教職員をはじめ、学内には、納得できない思いを抱えている人も多いでしょう。そうした人たちの声を、受け止めること。選考の経緯について、選考会議が説明を尽くすことを、支えること。就任後は、実際の運営で、選ばれた理由を結果で示していくこと。初の女性総長として、日本中が見ています。その視線は、厳しいものであると同時に、期待でもあります。期待に応えることが、最大の説明になるはずです。
総長という立場は、一人で担うものではありません。染谷氏をはじめ、学内の多くの優れた研究者の力を借りながら、東京大学を導いていく。それができたとき、今回の選考への疑問は、少しずつ、信頼に変わっていくはずです。信頼は、一度に得られるものではなく、小さな説明と、小さな約束の積み重ねから、静かに育っていきます。
学ぶ場としての東大の役割
東京大学は、日本で最も高い学力を持つ人たちが集まる場所として、多くの人にとって、特別な存在です。その大学が、どのように指導者を選ぶのかは、日本の社会が、どのように人を評価するのかを映す鏡にもなります。
票の数も、実績も、説明の力も、すべてが問われる場面で、東大がどのような姿を見せるのか。その姿は、大学の外にいる多くの人にとって、人を選ぶときの手本になります。だからこそ、手続きの正しさだけでなく、誰もが納得できる過程を示してほしいのです。
若い世代へ
この問題は、東大の関係者だけの話ではありません。これから社会に出る若い世代にとっても、考える材料になります。人が選ばれるとき、何が決め手になるのか。票の数なのか、実績なのか、あるいは別の何かなのか。その基準が、きちんと示されることが、どれほど大切なのかを、今回の出来事は教えてくれます。
若い世代の女性にとっては、自分が将来、選ばれる側に立ったときのことを、考える機会にもなります。選ばれたとき、周囲が納得してくれるだけの実力と、説明する力を、備えているか。それは、一朝一夕には身に付きません。日々の仕事の積み重ねの中で、少しずつ育てていくものです。
娘たちに伝えたいこと
わたしには娘がいます。娘たちには、枠で選ばれるのではなく、実力で選ばれる人になってほしいと伝えています。そして、選ばれたあとも、なぜ選ばれたのかを自分の言葉で説明できる人であってほしいと思っています。
実力があっても、説明ができなければ、周囲の納得は得られません。説明ができても、実力が伴わなければ、信頼は続きません。その両方を備えて、初めて、人は神輿に乗ることができます。
今回の東大の出来事は、娘たちにとっても、考える材料になります。女性が頂点に立つとはどういうことなのか。選ばれるとはどういうことなのか。ニュースを見ながら、家族でゆっくり話したいと考えています。
真の女性の姿
女性が国の頂点に立つ時代が来ました。大学の頂点にも、女性が立つ時代が来ました。ですが、立ったあとが、本当の勝負です。立つまでの努力よりも、立ってからの振る舞いのほうが、長く人に見られます。
男社会でずっと努力してきた女性は、男に媚びず、かといって、対立をなるべく避けて、正々堂々と、まっすぐ見つめます。説明を求められたら、逃げずに答えます。疑いの目を向けられても、結果で示します。批判を受けても、感情で返さず、事実と行動で応えます。これが真の女性の姿であります。


