わたしにとって「パートナーシップ」は、人生の永遠の課題かもしれない。
人が自然に築いていけるものを、わたしはなぜか努力と痛みをもってしか築けない。星を読むようになって、その謎が少しずつ解けてきた。
まず、ディセンダント(DSC)は♎天秤座。つまり、「他者」との関係に調和を求め、パートナーには知性や対話、バランス感覚を求める。だが、わたしの金星は♊双子座で3ハウス。ここで、愛のスタイルが明確になる。わたしは【会話のない関係】には耐えられない。言葉によって心を通わせ、知的刺激を共有できない相手には、恋愛感情すら生まれない。
しかし、この金星は木星とクインカンクス(150度)というズレた関係を持つ。クインカンクスは補えない視点の違い、無意識の摩擦。これは、わたしの愛がときに【妄想】に飛躍したり、現実との齟齬を生んでしまう象徴なのだと思う。「この人ならわかってくれるはず」「きっと通じる」と信じたその期待が、あとになって裏切られる感覚に変わる。
さらに、月は♐射手座で8ハウスに位置。ここが根強いパートナーに巻き込まれる傾向を生んでいる。8ハウスの月は、感情が他者と一体化しやすく、恋愛が深く、重く、時に支配的になりやすい。そしてその感情がどんどん【肥大】してしまうのは、月に♆海王星が接近しているせいだ。
わたしの愛は、最初は言葉から始まる(3ハウス金星)が、やがて感情と幻想の渦(8ハウス月×海王星)に呑み込まれ、気づけば相手との境界線があいまいになってしまう。
そして極めつけは、8ハウスのカスプが♏蠍座29度という、終末の度数(アナレティック・ディグリー)にあること。これはまるで、「感情の極限まで行きなさい」と言われているような配置。わたしの心は常に、相手との深い結びつき、でもそれによって傷つくことを繰り返してきた。
「なぜ、こんなに愛が苦しいのか?」
それは、わたしが表面的な関係では満足できない魂だからだ。わたしの愛は、生半可ではなく、深く、激しく、すべてを溶かし尽くしてしまう。
わたしにとってパートナーシップとは、「一緒にいられるかどうか」以上に、「魂が共鳴するかどうか」「言葉を交わしても、まだ知り尽くせない深みがあるかどうか」なのかもしれない。
誰かと共に生きるとは、「調和」ではなく、「混沌と再生」を何度も繰り返す神聖な儀式。
そんなふうに、今は感じている。
星はもう一度、私に問いかけている
いま、トランジットの海王星がわたしのネイタル海王星にトライン(120度)を描いている。目に見えないもの。感情、過去の記憶、そして見えなかった真実が、少しずつ浮かび上がるような、そんな時間に入っている。
8ハウスにある月。かつては「呑み込まれる感情」の象徴だったその場所が、すこしずつ形を変えている。むしろ受け入れる器のような柔らかさを持ちはじめた。
思い出すのは1998年。あのときも月が回帰した。プログレッションの月がネイタルの月に戻ってくる「魂の誕生日」とも言える時期――前夫との関係性に悩み抜いた、あの濃密な季節。
でも、今回とあの時とでは、ひとつだけ大きな違いがある。
1998年、P太陽とP月は120度。つまり、心と意志が調和していた。だからこそ、苦しさの中にも「希望の灯」があった。
けれど、今回は違う。
2025年末、P太陽とP月は正確なスクエア(90度)を迎える。これは、魂の中で折り合わない何かが、はっきりと浮き彫りになる時期。過去からの流れを再構築するように、わたしは再び「選ばされる」のだと思う。
愛を取るか、自由を取るか。
過去を断ち切るか、抱きしめ直すか。
自分を信じるか、それともまた誰かに心を委ねるのか。
星は静かに、でも確実に語りかけている。
「本当のあなたは、何を望んでいるの?」
その問いに、まだ答えは出ない。
でも一つだけ、確かなことがある。
このスクエアは、わたしの「愛の物語の再編集」の時を知らせている。
それは痛みを伴うかもしれない。けれど、その痛みの先には、真のパートナーシップが待っているような、そんな予感がしてならないのだ。
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