女とは

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平和な記憶とハングリー精神の不在

Netflixで配信されているドラマ、戸田恵梨香さん主演の地獄へ堕ちるわよの2回目を一気に視聴しました。画面越しに伝わってくる熱量に触れ、わたしが強く感じたのは、女が財や権力を手にする時、家族を持つという夢は往々にして儚く消えていくという、現実です。

わたしは今、50代半ばのごく平凡な女として生きています。特別な環境に育ったわけではなく、中流家庭で、極めて普通の暮らしの中で育ちました。幼少期を振り返れば、欲しいと思ったものは正月やクリスマスに買ってもらえ、盆には親戚が集まって坊さんにお菓子をもらったり、祖父母のいる京都へ遊びに行ったり。一家と福井の海へ泊まりに行ったりと、随分と平和な日々を過ごしてきました。 こうした環境で蝶よ花よと育てられた結果、わたしの性格はわがままで勝気なものとなりましたが、しかし、そこには強烈な劣等感や欠乏感はありません。貧乏を経験していないからこそ、お金に対して執着がなく、どこか無頓着な部分があります。つまり、のし上がってやるというハングリー精神を養う土壌が、わたしの幼少期には存在しなかったのです。

金星の傷が駆り立てる女の野心

世の中には、地方から出てきて法人を立ち上げ、自分名義の家を建てるような、女性として目覚ましい成功を収める人々がいます。わたしの知るある占星術師もその一人です。彼女の占星術的センスは、わたしから見れば壊滅的なレベルではありますが、実業家としての手腕は素晴らしいと言わざるを得ません。 しかし、彼女は孤独です。子どもを産んではいても、誰一人として傍にはおらず、複数回の結婚もすべて破綻しています。現在の配偶者の経歴も、目を覆うような惨状です。また、彼女の元ファンであり、実力はあっても性格に問題を抱える若い占星術師も、未婚のまま子どもを持つ予定はないようです。

この二人に共通しているのは、強烈なお金へのコンプレックスです。そして、占星術的に言えば、二人とも金星の状態に重大な問題を抱えています。 細木数子氏もまた、金星に問題を抱えていました。青春時代に、男をひっかき回すような「愛されてなんぼ」という経験を十分に経ていない場合、社会に出た際、その満たされぬ金星がうずき出すのではないでしょうか。金星が正常に機能しない時、女はその欠落を埋めるために、金銭や権力、あるいは他者を支配することに執着し始めます。

そういうわたし自身、金星が正常ではありません。だからこそ離婚を経験し、一度は子どもを手放すという回り道もしました。しかし、今はただ、子どものためだけに生きています。わたしにとって、子どもとは宝以外の何物でもありません。

財を成す代償としての「一般的な幸せ」

昭和の大スター、島倉千代子氏もまた、歌の世界で頂点を極めながらも、子どもという縁には恵まれませんでした。美空ひばり氏、北原美枝氏、山口洋子氏、中森明菜氏、米倉涼子氏。彼女たちの顔ぶれを眺めれば、女が大きな富や名声を稼ぎ出す時、引き換えに一般的な幸せを差し出さねばならない宿命が見て取れます。松田聖子氏も、若くしてたった一人の娘を失うという、筆舌に尽くしがたい悲劇を経験しています。 わたしの同級生でも、キャリアを築いている女性たちは一様に独身を通しています。

天体の品位という言葉を嫌うモダン占星術師たちは、おそらく自身の金星や月に問題を抱えているのではないかとわたしは感じています。それは一種の女性コンプレックスです。 男を喰うことすらできない弱い女は、男に従属しなければ生きていけません。かつてのわたしもそうでした。しかし、社会で牙を剥く彼女たちは、男を喰うように見せて、実は心の底から愛を欲しがっているのかもしれません。 本来、愛する男の傍にいれば、貴金属や高級車、稼ぎの多寡などどうでも良くなるはずです。一瞬の気持ちが満たされていく充足感を、女は本能で知っているからです。

原始的な喜びと女の落としどころ

愛する男の種を己の腹で育て、世に放つという行為は、極めて原始的な営みです。たとえその男と別れることになったとしても、子どもを大切に思う気持ちは思い出と共に残り続けます。子育てには苦労が伴いますが、自分以外の大切な存在があれば、女は生きていけるのです。

しかし、子どもを産まない選択、あるいは子どもとの縁を切り離す生き方は、どこかで女を欲に塗れさせます。それが金なのか、権力なのか、あるいは歪んだ自己満足なのか。その欠落は、物凄いコンプレックスとなって本人を襲います。 独身を選択しても、金星に傷がなければ大きな問題にはなりませんが、少なくとも「占い」という業種を選んだ金星に傷のある女は、どこか屈折しているという結論にわたしは至りました。

大切なのは、その屈折に自分自身で気が付き、認めることです。飢えているという事実、愛されたいという切実な気持ちを正視することから、違う人生が始まります。 わたしの金星は、愛を知っています。同時に、男と女の愛など空想に過ぎず、長く激しい感情など存在しないことも理解しています。 子どもを何かの代替品にする必要はありません。子どもが自分より少しでも長く生き、どのような形であれ人生を謳歌しているのなら、その子育ては成功です。今がどれほど苦しくとも、心のどこかが満たされているはずです。

女はそれで、実は十分に満足できるのです。そして、どこかでその満足を受け入れることこそが、本当の幸せなのかもしれません。 地獄へ堕ちるわよは、そんな女の哀しみを背負った物語です。女はどこまでも蓄える性質を持ちますが、同時に「落としどころ」を知ることもまた、一つの英知です。 欲の果てに何を見るのか。わたしは、自分の内側にある宝を抱きしめながら、この物語の行く末を見届けたいと思います。

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